80年代のサブカル文化を盛り上げた「漫画情報雑誌」

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 ネット記事を見ていたら、懐かしい雑誌の名前が出ていた。
 『ファンロード』『OUT』『ぱふ』といった雑誌は、私も愛読していたよ。昔の記憶をくすぐる記事が以下。

デビュー前の高橋留美子も別名義で執筆!『ファンロード』『OUT』『ぱふ』80年代のサブカル文化を盛り上げた「漫画情報雑誌」の歴史 | ふたまん+

『ファンロード』『OUT』『ぱふ』

2003年の10月5日、かつてアニメグッズ販売や雑誌出版などを手がけていた「ラポート」が倒産、廃業した。新宿御苑近くにあったアニメ専門店「アニメック」を経営するなど、当時のアニメファンにはなじみ深いラポートだが、なかでも1980年に同社から創刊された雑誌『ファンロード』の存在はサブカル文化を語るうえで外せない存在ではないだろうか。

(中略)

これら紙媒体は、インターネットなどなかった当時のファンにとって貴重な情報源であり交流の場でもあった。特に前述した『ファンロード』を初めとした読者投稿型雑誌の存在は、現在のSNSと同等の役割を担っていたと言っても過言ではない。

(中略)

80年代90年代を過ごしたアニメファンであれば、雑草社が発行していた漫画情報誌『ぱふ』も愛読していたという人が多いのではないだろうか。

(中略)

 また、誌面では商業作品以外に、オリジナル作品を扱った「同人誌」にも注力。各地で開催される「同人誌即売会スケジュール」や「同人誌紹介コーナー」を掲載し、その縁から日本最大規模のオリジナル創作を中心とした同人誌即売会「コミティア」が誕生した。

 いや〜、懐かしい(笑)
 当時は田舎の実家暮らしだったのだが、漫画・アニメを対象としたレビュー同人誌を細々と出していた。それをこれらの雑誌に送っていた。紹介してもらうためだ。
 で、映画「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」について考察記事を書いたのだが、『OUT』での同作に対する記事の中に、名前こそ出なかったものの、私が書いた記事について触れている部分があった。
「あ、それ、オレの記事のことだろ」とわかったことがあった。ネットのない時代だから、ファンの声は、手紙や同人誌でしかわからなかったのだ。
 現在はブログでその頃と同じことをしているわけだが、昔は同人誌でやっていたんだ。

 『ぱふ』とは、いろいろと縁が深かった。
 現在はCOMITIAの代表となっている中村氏が編集長だった頃に、氏と出会うことになったきっかけが『ぱふ』だった。上京してから、『ぱふ』編集部に度々行くことになった。

 「同人誌紹介コーナー」を、私が4〜5年担当していた。毎月編集部に送られてくる100〜200冊の同人誌に目を通し、ピックアップするものを選び、紹介記事を書いた。のちに取り上げた同人誌から、プロデビューした作家もいた。そのきっかけになったのであれば、やった甲斐があるというもの。

 その後、中村氏がCOMITIAの運営を引き継ぎ、私は初期のCOMITIAのスタッフとなり、「ティアズマガジン」の制作に携わった。当時住んでいた私(と妻)のマンションの一室が、制作室となり、多くのスタッフが出入りしていた。

 記事中には出ていないが、東京三世社の「少年少女SFマンガ競作大全集」にも、ちょこっと顔を出した。この雑誌にも同人誌関係のコーナーがあった。
 その当時、創作漫画同人誌「COMIC LIFE」というのを地元で作っていたのだが、この同人誌は小学館の「コミック同人誌グランプリ」の第1回の編集部門で大賞を取ったりした。この賞の第4回では、掲載作の「こやま基夫」の「エイリアン・テレビジョン」が作品部門に入選し、こやま氏はプロデビューすることになった。
 余談だが、「コミックライフ」というのは、現在では漫画作成ソフトの名前になってるが、我々の方が先だ(笑)

 で、その頃に、『少年少女SFマンガ競作大全集』から取材依頼があって、私とこやま氏が編集長と会って取材を受けた。取材内容は同人誌関係の話だ。その記事が、雑誌に載った。

 というわけで、今となっては、懐かしい思い出だ。

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