小山田圭吾氏、辞任の余波

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小山田圭吾氏、辞任の余波

小山田氏は続投するのかと思ったら、一晩で辞任になった。
なんだろうね、このドダバタ劇は。
断片的に漏れてくる情報だと、組織委員会内部やクリエイターグループ内で、すったもんだあったらしい。

開幕直前の小山田圭吾氏ドタバタ辞任劇、連鎖辞任恐れ続投も批判やまず一転 – 五輪一般 – 東京オリンピック2020 : 日刊スポーツ

一方、ある大会関係者によると、組織委は批判を受け、いったんは小山田氏を辞任させる方向で調整し始めていた。映像チームのトップ級メンバーが「小山田さんを降ろすなら、我々も降りる」と辞任の構えを見せ、他のメンバーも後に続いた。開会式が成り立たなくなることを恐れた組織委は一転、小山田氏続投の方針を固めたという。

というように、制作陣は小山田氏を擁護していたようだ。
まぁ、途中で抜けられたら、仕事が台無しになるというのもわかる。
「映像チームのトップ級メンバー」が誰なのかは、スタッフリストとして発表されていたので名前を隠す必要もないと思うが……。

▼参照記事。
東京2020オリンピック開閉会式の制作・演出チーム発表 式典コンセプトも決定

その人は、小山田氏と長いつきあいのようなので、問題になった過去の一件も知っていたと思われる。それでも擁護したのは、たいした問題ではないと認識していたんだろう。
仕事仲間というのは、独特の連帯感が生じるからね。

チームとしてはセットだと思うので、チームまとめて降りた方がいいようにも思う。
開会式に演出はいらないよ。どうせ無観客なんだし。
曲が必要なら、誰かがいっていたが1964年の古関裕而の音楽でいいんじゃね? 朝ドラの「エール」もやっていたことだし、タイムリーだよ。

また、擁護のつもりが延焼してしまったのが……

小山田圭吾のいとこ謝罪 辞任発表に「正義を振りかざす皆さん、良かったですねー!」ツイート | 東スポのニュースに関するニュースを掲載

音楽プロデューサー・田辺晋太郎氏が19日、いとこの小山田圭吾の去就問題でのツイートを削除し、謝罪した。

(中略)

田辺氏は「小山田辞任へ」のニュースを引用し「はーい、正義を振りかざす皆さんの願いが叶いました、良かったですねー!」と投稿。身内びいきととられかねない内容に批判のコメントが寄せられると、ツイートを削除し「先程は辞任の速報を受け、取り乱して不適切な投稿をしてしまいました。ご不快な思いをされた方に対し謹んでお詫びすると共に猛省しております。本当に申し訳ありませんでした」と謝罪した。

よりによって親族の身内が火に油を注ぐという展開。
その後、田辺氏のアカウントは削除され、ばっくれてしまったようだ。
炎上案件も、ここまで泥沼になるのも珍しい。

さらには、小山田氏の息子にまで火の手が回ったようだ。

ひろゆき氏、小山田圭吾の息子への攻撃に疑問「どういう理由で正当化出来てるのかわかる人います?」 : スポーツ報知

「2ちゃんねる」開設者のひろゆきこと西村博之氏が20日、自身のツイッターを更新。ミュージシャンの小山田圭吾が過去に雑誌のインタビューで学生時代のいじめについて告白していた問題で、息子でミュージシャンの小山田米呂のSNSに批判的な声が送られていることに私見を述べた。

ひろゆき氏は「『虐めは良くないので虐めをした人を攻撃』←わかる 再犯防止や罰を受けるべきという論理や社会的合意確認等の意味で理解可能」とし、続けて「『イジメをした人の息子を攻撃』←わからん これ、どういう理由で正当化出来てるのかわかる人います?」とツイート。そして「親なら育てた責任とかで、まだわかるんですが、、」とつづった。

小山田氏の息子とは、小山田米呂氏のことらしいが、米呂氏のTwitterの過去発言に以下のようなものがあり、これが誘因になっているようだ。


不正義に対する沈黙は賛同と一緒なんだよ」ということだが、今回の父親の一件に関しては「沈黙」している。
そのことが反感を買う一因にもなっているようだ。

ツイートの英文を翻訳すると、

人種差別、あらゆる差別、肌の色による抑圧にNOと言いたい。私は怒りと悲しみでいっぱいですが、彼らの怒りは計り知れないものでしょう。自分の無力さを痛感する今日この頃です。

と、差別問題について触れているので、障害者イジメともリンクする問題。
皮肉なことに、もっとも身近な身内が問題の当事者だったことで、沈黙するしかなくなったのかもしれない。

息子に対するバッシングは間違っているが、自身がいっているように「不正義に対する沈黙は賛同と一緒」であるなら、沈黙は言行不一致と思われてしまう。

親と子は別人格……というのは当然ではあるのだが、世の中、必ずしもそういう見かたにはなっていない。

ポジティブ要素として、両親が有名芸能人で娘が親の七光りで芸能界デビュー……という、どっかで聞いたことあるような事例。娘に才能があるかどうかはともかく、親の知名度と実績がすごいと、娘にも同等の才能があるように見られる。
こういう場合は、親と子は別人格ではなく、子は親の分身のように見られる。
馬の世界で、血統がものをいうのと同じだ。

今回の一件はネガティブ要素だが、ポジティブ要素では好感される親の存在が、ネガティブ要素では親の存在を別に考えるというのも不思議なものだ。
その線引きはどこにあるんだろうか?
某カルト宗教の死刑囚の子供達は、親と子は違うといいつつも、要監視対象になっていたりする。親と子を完全に切り離して見ることは難しい一例だろう。

この問題に関して、爆笑問題・太田氏の発言も批判されていた。

【小山田圭吾】小山田圭吾「いじめ問題」が飛び火…爆笑問題・太田光に視聴者が期待したこと|日刊ゲンダイDIGITAL

太田は18日のTBS系「サンデー・ジャポン」に生出演した際、いじめは言語道断としつつも、「(当時)サブカルチャーにそういう局面があったということ。その時代の価値観と今の時代の価値観がある。その時代の価値観を知りながら評価しないとなかなか難しい」などと話したのだ。

「その時代の価値観」というような尺度で考えると、1970〜80年代はイジメは正当化されていたのか?……ということになってしまう。イジメというと軽いような印象になるが、告訴されていれば暴行事件または虐待事件で、刑事責任を問われることになっただろう問題だ。当時は少年だから、少年院送りになっていてもおかしくなかった。それを免れたのは、被害者が訴えられなかったからにすぎない。

論点を拡大すると、戦時中の問題は「その時代の価値観」からいえば、人々に人権はなく、命は鉄砲玉1発程度の価値しかなかった時代だ。だからそれはしかたがない……という理屈にもなってしまう。

今回の一件で明らかになったのは、ネット時代以前のアナログ時代の記事であっても、発掘されてしまうということだ。
ある記事では、国会図書館に行って、雑誌のバックナンバーを探したらしい。

小山田氏はオリパラの仕事で、名声を得る算段だったのかもしれない。
一般国民は名前を知らない人がほとんどだったと思うので、有名になれるチャンスでもあった。
皮肉なことに、過去の悪行によって、世界的に有名になることはできた。
東京オリンピックが語られるとき、3大スキャンダルのひとつとして、後世に語り継がれることになりそうだ。歴史に名前が残ることは、なかなかないことだと思うよ。