『半分、青い。』は批判的”怪”作

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『半分、青い。』WEBサイトより

『半分、青い。』WEBサイトより

なにげに、NHKの朝ドラを見ている。
朝ドラが終わった頃に、出勤の準備を始めるのだが、ほとんど習慣というか惰性だ(笑)。

現在放送中の『半分、青い。』は、ネット上で批判的な意見・感想が多いことでは、かなり珍しいというか際立ったドラマになっている。

モデルとなる人物や原作がなく、オリジナルのドラマだが、完全にオリジナルというわけでもない。実在するマンガ作品が登場したり、終盤に発明品として登場するちょっと変わった扇風機も、あるメーカーが製造したものになるという。

ドラマとしての立ち位置が、微妙というか曖昧なのだが、それはストーリーそのものの曖昧さにもつながっている。
伏線らしきものはいろいろと種まきされるのだが、刈り取られることなく放置された伏線はいくつもあった。
「あれはどうなったの?」
という、小骨が喉に刺さったまま、ドラマ上の時間はあっという間に数年が過ぎてしまう。
視聴者は置いてきぼりなのだ。

Twitterやヤフコメでは、不満や批判が多数飛び交っている。
いわば常時炎上状態なのだ。
そこに、油を注ぐかのごとく、脚本家の北川悦吏子氏がSNSで、「次回は神回」などと自画自賛したり、ドラマでは描かれていない背景を、作者自ら裏話的に明かしてしまったりしている。
あえて、炎上の燃料を投下しているのではないかと思われる。

ドラマに対する批判的な意見が多いにもかかわらず、視聴率は20%越えを維持していて、数字的には好調だ。
つまり、批判しながらも、多くの人は続きが気になり、見続けていると想像される。

これは面白い現象だ。
面白くなければ見なくなるものだが、ツッコミ所満載のドラマになっていることで、批判的な意見を言いたくなってしまうから見る……という、逆説的な反応なのだ。

この状況を、北川氏が意図的に作り出しているとしたら、なんという策士だろうか。

素晴らしい作品は「傑作」というが、『半分、青い。』は「批判的”怪”作」とでもいえる作品になっている。

『半分、青い。』は、アンチのファンによって視聴率を稼いでいるのだ。
しかも、愛されるヒロインではなく、嫌われるヒロインにもなっている。鈴愛(すずめ)を演じる永野芽郁さんは、演技がやや過剰ではあるが、自己中ですぐにキレるヒロインを見事に演じている。
見た目は可愛いけれども、人の気持ちなど意に介さない言動や行動は、見ていてイライラしてしまう。こんな人とは友達にも恋人にもなりたくない……と思わせるキャラクターだ。
しかし、ドラマの中では、鈴愛は愛されるキャラとして描かれている。
このギャップが、違和感を生む。
ヒロインの周りの人物は、なんとも心の広い人たちばかりなのだ。

『半分、青い。』の登場人物には、嫌われるキャラが少なくない。
ある意味、より現実的ではあるのだが、嫌われる部分を隠すことなく表に出している。
律の初恋の相手の清の描き方は、美少女なのにかなり辛辣でドロドロ感が丸出しだった。そこまで悪女にしなくてもいいのに……と思ってしまった。

ドラマの始めの方で、鈴愛は左耳が聞こえないというハンデを負っているという設定から、物語が進行していた。
しかし、その設定が有効だったのは、東京に出てきたばかりの頃までで、その後はほとんどハンデを自覚することはなくなる。ときどき思い出したように、左耳のことを持ち出すが、必然性は乏しい。

鈴愛の言動や行動、性格的な特徴を見ていると、もしかして彼女は発達障害なのではないかと思えてくる。発達障害の中でも、 アスペルガー症候群と呼ばれる症例に該当する。

アスペルガー症候群 Wikipedia

社会的コミュニケーションの困難
アスペルガーの人は、多くの非アスペルガーの人と同様か、またはそれ以上に強く感情の反応をするが、何に対して反応するかは常に違う。彼らが苦手なものは「他人の情緒を理解すること」、「言葉やジェスチャーの裏に隠された意味を理解すること(非言語コミュニケーション)を図ること」である。

狭い興味と反復行動
アスペルガー症候群は、興味の対象に対して、きわめて強い、偏執的ともいえる水準での集中を伴うことがある。

知能
知能は平均以上で、学校の成績も良かったアスペルガー症候群を持つ成人が、職場では適応障害を起こすことがしばしば見られる。

感覚
アスペルガー症候群の感覚面での特徴として、「ちょっとした態度や言葉で著しく傷つき、それがトラウマとなりやすい」「幻覚や妄想じみたこだわりを見せる傾向がある」「過去のトラウマから、第三者にとってはちょっとしたことでもフラッシュバックを起こして大騒ぎをする」「大変まじめで、それゆえに壊れやすい」という見解を出している。

鈴愛が発達障害だとすれば、彼女の非常識な言動や行動に合点がいく。つまり、左耳が聞こえないことよりも、発達障害のことを設定にした方が、このドラマは筋が通るということだ。

同様のことが、涼次にもいえる。彼は映画に対する強いこだわりがあり、そのためには家族を捨てなくてはいけないと思い詰めてしまうのは、発達障害ゆえなのではないか。彼は2つのことを同時に考えられないのだ。

ただ、ドラマの舞台となった時代は、まだ発達障害については認知度が低く、医学的な解明も進んでいなかった。
大人になってから発達障害と診断されることも珍しくないので、鈴愛がそうだったとしても不思議ではない。
とはいえ、ドラマの制作スケジュール的には終盤になっているので、今から脚本に手を加えるのは無理かもしれない。

いずれにしても、『半分、青い。』は批判されながらも、高視聴率をキープするという、珍しいケースとはいえる。
最終回を迎えるまで、ネット上には批判コメントが吹き荒れることは間違いないだろう。

「半分、青い。」が終わって感じること。に続く。

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