古きよきアナログの時代

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 仕事に電子機器やコンピュータは欠かせなくなった。
 私の仕事に関係する、写真やグラフィックデザインでも、その作業のほとんどをデジタルで行っている。
 昔はすべてが手作業だった。
 古きよき時代……というのは多少語弊があるが、そういう時代はそれほど昔でもない。

統計から銀塩カメラが消えて1年それでも細く生き続ける (nikkeiBP on Yahoo!ニュース)

 デジタルカメラの台頭に押され、いまや銀塩フィルムカメラの命脈は風前の灯である。昨2008年1月の国内生産台数はわずかに1580台。その翌々月にはついに日本の工業統計から姿を消した。集計上の規定を満たさないほど生産台数が縮小してしまったためだ。それから1年が経過した現在、銀塩フィルムカメラの生産台数は更に小さな数字になっていることだろう。

 30年ほど前(現在年からは45年前)、写真のラボに勤めていた頃、暗室にこもって大判の写真を焼いていた。クロメガという写真業界では必須アイテムだった機器を使って、キャビネ判~全紙までの大判プリントをしていた。
 朝から晩まで暗室にいるから、深夜まで残業していても時間感覚があまりなかった。当時はiPodはもちろんのこと、カセットテープ式のウォークマンもない時代だったから、B4版くらいの大きさのカセットデンスケ(懐かしいという人は同世代だ)を持ちこんで、ヘッドホンをして仕事をしていた。
 写真の現像はローラー式の大型機械に流しこむのだが、そのときの現像液の調子や温度によって色の出方が変わる。何度も焼きつけては現像して、いい色になるまで繰り返すという作業だ。微調整して望む色をどうやって出すかは、経験と勘である。同じネガフィルムであっても、一週間後にもう一度焼いたら同じ色にはならない。品質を保つのが難しい仕事だった。
 いい写真に仕上げるのは、職人の技だったのだ。

 グラフィックデザインは現在、DTPに取って代わった。
 ひとりのデザイナーが、印刷物としてできあがるまでの、大部分をコントロールできるようになった。
 昔は分業だった。
 文字は写植屋、写真はカメラマンと製版屋、色の指定は指定紙に手描きで書き入れ、製版者が指定通りにアミを作り込んでいく、色の確認は校正刷りを出すまでわからない。
 レイアウトは、台紙に写植をペーパーボンドで切り貼りし、線は烏口やロットリングで引いた。写真はトレペでトレースした手描きのあたりを貼り、それに合わせて製版段階で写真をはめ込むというアバウトなものだった。
 それぞれの行程で職人がいて、連携しながら作り上げていった。
 それが今では、一人の人間が印刷所に入稿する直前まで仕上げてしまう。全体の作業にかかる手間と時間は10分の1くらいになったが、その分、一人の人間にかかる負担も多くなった。
 文字はキーボートから入力して、書体も自分で選択し、大きさも自在に変えられる。写真やイラストはデジタル化されてディスプレイ上で色味とともに容易に確認できる。出力はプリンタで出し、ときにそれが校正刷りの代わりになる。
 昔だったら、それらの過程に少なくとも5~6人が作業に当たっていた。ページ数が多ければその倍だ。
 それが一人でできるということは、職人たちの仕事がなくなってしまったのだ。
 例えば、一文字の間違いを写植で修正する場合には、写植屋さんに発注して写植の現像が上がってくるのに、少なくとも30分はかかる。他の仕事もしているわけだから、その間に一文字だけの修正を割り込ませるのには、手順と時間がかかったのだ。
 それがDTPでは、キーボードで入力一発、数秒である。
 この差は大きい。
 手作業だった昔に3日かかっていた仕事が、今では数時間でできてしまう。

 古きよきとはいえない、というのは、昔の作業には戻れないからだ。コンピュータによって作業の効率化が可能となったわけだが、その反面、制作料は安くなった。仕事量が昔と同じでは、割に合わない。つまり、効率化は単価が下がり、納期も短くなり、より多くの仕事をこなさなくてはいけなくなったのだ。
 手作業の時代に戻れるか?……といったら、考えたくもない。
 そういう時代もあったね……と、懐かしがるだけにしたい。

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