前にも面白いとして取り上げた「降旗」氏の記事。
今回も面白かったのだが……
16:非情のコメントブレイカー(後編) ~載らない理由と、笑顔の行方:NBonline(日経ビジネス オンライン)
何故なら、このコラムを読んでくすくす笑う人……、がいてくれることを願って書きますが、面白いじゃんと笑える人は、心に余裕があるからだ。
焦っている人と、心に余裕のある人は、もうその時点で大きく違う。
私なんぞのコラムにかぎらず、心に余裕がある人は笑えるのだ。まさに笑門来福。だから毎日が楽しくて仕方がない。そして、心に余裕のない人は何もかも気に入らなくて、怒りっぽくなる。それが悪い方向に進むと、ひがみっぽくなって誰かを攻撃したくなるというパターン。
全文は長いので、リンク先で読んで欲しい。
面白い記事ではあるのだが、あえて批判的なことを書こう。
降旗氏は、それを期待しているようでもあるので。
話題の元となっている読者からのコメントというのは、私はほとんど読むことがない。読者がどういうコメントをしてるかには興味がないからだ。読み方は人それぞれ、共感する人もいれば批判する人もいるだろう。だが、短いコメントで匿名では、その人のバックグランドはわからない。限られた情報から、発言の真意を推し量ることは困難だからだ。
むしろ、トラックバックでリンクされている方の記事を読む。過去の記事を読んでいけば、書き手がどういう視点や意図で書いているかのバックグランドが見えてくる。そこから、その意見が自分にとって有益であるかの判断ができるように思う。
ネットの記事を読むのは、それが面白いかどうか、役に立つかどうか、情報として価値があるかどうか、だと思う。
自分にとって価値のないものだったら、記憶には残らない。なにか引っかかるものがあれば、なにかのときに役立つかもしれない。
いろいろと読んでいて「引っかかったもの」を、私のブログでは取り上げて、私なりの見解を書いている。
「書く」という行為を通して、自分の考えを整理し、極めて微力だが意見を発している。日経ビジネス オンラインの読者数に比べれば、私のブログに訪れる人は微々たるものだ。
少ないながらも読んでくれている人がいるから、読者を意識した書き方をしている。
具体的に想定している読者は、第一は「妻」
第二は、近しい友人・知人だ。
妻は「ブログ更新した?」と聞いてくる。
「書いたよ」というと、妻は私の書いたものを読んでいる。
私の書いたものを読めば、今、私がなにに興味を持っていて、どういう考えをしているのかがわかることになる。社会問題なども書いているから、そういうことに疎い彼女へのレクチャーも兼ねている(^_^)。
個人が情報を発信できる時代にはなったが、技術的に可能になったというだけで、ひとりの人間が発する情報に目を留めてくれる人はほんのわずかだ。そういう意味では、同人誌を発行していた昔(20年くらい前)と大差ない。
降旗氏の今回の記事は、読者のコメントにコメントする形になっている。
氏は「反撃」という言葉を使っていたが、読者コメントを批判することで、自らも批判合戦に参戦したような格好になっている。
この手法そのものが、堂々巡りだと思う。
完ぺきな理論武装は不可能であり、降旗氏がどんなに言葉を駆使しても、論点に穴が生じる。なにがしかの結論を導き出そうとする議論ではないため、延々と穴のつつきあいになってしまう。
対等な立場ならまだしも、降旗氏はネット上でのマスメディアの側であり、対する読者は無名の制約された発言しか許されない立場だ。力関係が強者と弱者でもある。
勝ち負けをいえば、勝者は降旗氏にしかなりえない。
降旗氏が展開した論戦は、そのまま降旗氏本人にも跳ね返ってしまう。
今回の「反撃記事」を書いた時点で、降旗氏にも反撃したいという欲求から「心に余裕」がなかったとも読み取れるからだ。
新聞記事でも、社説で批判合戦をすることがある。端から見ていると、どっちもどっちという感じがするが、当事者にはそういう感覚が麻痺してしまうのだろう。
いろいろと意図して書かれた記事だというのはわかるが、「策士、策におぼれる」といった面があるようにも思う。
とはいえ、記事としてはそういう見方もあるということで、面白いものではあった(^_^)。