写真は長年の趣味のひとつだが、なかなか素晴らしい写真は撮れない。
 撮影テクニックもさることながら、風景写真の場合には「運」も左右する。絶好の場所に、絶妙なタイミングで巡り会う必要がある。
 ときどき、そんな素晴らしい写真を目にすることがあるが、素晴らしいと感動すると同時に、うらやましいとも思う。
 以下も、そんな写真。

息を呑むとはまさにこのことだ 未来に残したい日本の風景が美しすぎる – ねとらぼ

 未来に残したい日本の風景写真「日本遺産」フォトコンテスト受賞者の作品が、圧倒的美しさで息を呑みます。

 絵画のように美しく、感動的な風景だ。
 こういう作品を見せられると、まだまだ私も未熟だなと思う。
 ここに掲載されている4点の写真のうち、2点の撮影場所が私の出身地である大分県になっている。
 なんということだ!(笑)

 2年ほど前に実家に帰省した際、大分県内を親父の車で撮影行脚してまわったのだが、天候に恵まれずあまりいい写真は撮れなかった。受賞作の風景となっている、大分県豊後高田市の田染荘にも行きたかったのだが、結局行けずじまい。たとえ行ったとしても、こういう風景は撮れなかっただろう。

 私が子ども時代を過ごした田舎は、まだまだ昔の日本の風景が残っていた。「となりのトトロ」のような田園風景があったのだ。今では都会化が進んで、私が遊んだ山野は住宅街に変貌して失われてしまった。古き良き日本の風景を探すには、もっと郊外に行かなくてはならない。大分県は山地が多く、内陸にいくほど都会化の浸食は少なくなる。とはいえ、絵になる風景というのは探し出すのは容易ではない。
 私が子ども時代を過ごした故郷には、かつての風景は残っていない。記憶の中にある「故郷の原風景」は、どこか別の場所で探すしかない。自然や田舎の風景にひかれて、撮りたいと思うのは、原風景への郷愁だ。

 写真を撮るときには、いくつかのテーマを持っている。
 風景の場合には「原風景」がそのひとつ。
 先日、妻と一緒に河口湖に行ってきたのだが、視界の中に「山」があると落ち着く。東京に住んでいると、ビルばかりで山が見えないのだが、上京してきたとき、「山」のない風景にとても違和感を感じたものだ。私の田舎では、平野が少なく、海から山までが近い。視界の中には、いつも山々があった。
 山が見えていると、空間に遠近感と立体感を感じる。山の位置が基準点となり、方向感覚や距離感もわかりやすくなる。空間認識能力が高まるのではないかと思う。
 東京育ちの妻が、ありえないほど方向音痴なのは、山のある環境で育っていないからだろう(笑)。

 ともあれ、とても素晴らしい写真を見せていただいた。
 こういう写真を撮れる日が、いつか来ますように……。

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