ネット時代の恋愛

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ネット時代の恋愛

Bruno /GermanyによるPixabayからの画像

 私が妻に出会った頃は、「携帯電話の無い時代の恋愛」だった。
 連絡手段は固定電話か手紙。
 手紙はよく書いたなー(^_^)。もちろん、大部分は手書き。パソコンは1986年頃から持っていたから、プリンタで打ち出した手紙もあったかな。
 ラブレターは手書きだったな(^_^;
 深夜に、実家住まいだった彼女(妻)と長電話したものだった。

 それが今では携帯電話だからね。便利にはなったが、奥ゆかしさはなくなったし、思い入れも軽くなったのかもしれない。
 そんな記事。
携帯電話の無い時代の恋愛:NBonline(日経ビジネス オンライン)

 しかし、同時に一人ひとりとの関わり方も変わってきて、自分が誰かと繋がっているという実感が薄れてきているように感じます。最近私の周りのメディア、コミュニケーション、マーケティング領域に関わる多くの方々から“急激に進んだネットコミュニケーションの反動として、これからはリアルでアナログなコミュニケーションへの回帰現象が起こるのでは?”という話をよく耳にします。

 現在のネット社会を「バーチャル」あるいは「仮想世界」と形容することがあるが、それは基本的なところで間違っている。
 ネット環境は「仮想世界」を体現するほど高度なテクノロジーになったわけではない。主たるコミュニケーションは、文字による限定的な表現でしかない。画面に映っているのは「テキスト」であり、そこにバーチャルは存在しない。
 テキストに「バーチャル」を感じているのは、読んだ人が言葉から「脳」でイメージしているからだ。画面にバーチャルがあるわけではない。
 テキストで表現されることも、書く人の表現力に大きく左右される。下手な表現であれば真意は伝わらないし、読む人にも読解力や知識がなければ、読み解くことも不完全だ。
 そして、稚拙な文章と誤解した読み方自体が、曲解というバーチャルを生み出す。それもまた「脳」が作り出している。

 つまり、ネット社会というバーチャルは、人々の誤解と想像力……脳の中で生み出している実態とはかけ離れた虚構でもある。
 ネット社会だから「実感が薄れてきている」というよりは、ツールとしてのネットを使いこなせなくて「実感を想像できなくなっている」という方が正しいように思う。
 文字によるコミュニケーションということでは、手紙でも同様だったのだ。それでも、十分に気持ちを伝えられたし受け取ることもできて、「実感」できたのだ。
 要は使う人間の意識の問題。

 メールで気軽にコミュニケーションができるようになったからといって、相手をメロメロにさせる熱烈なラブレターを書けるわけではない。
 言葉を使う以上、「国語力」あるいは「文章力」という能力が必要だ。言葉を駆使できなければ、気持ちを十分には伝えられないし、口説くこともできない。
 極論すれば、薄れてきているのは「書く能力・表現する能力」であって、ネットのせいではないともいえる。

 携帯メールではお約束になった絵文字は、簡潔性とは別に、表現力のなさを補っているに過ぎない。それでわかったような気になっているのも、脳の勝手な解釈であり、つたないメールで誤解が生じてしまうのも、脳の勝手な解釈だ。
 バーチャルはネットではなく、「脳」の中にある。

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