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人生には浮き沈みがある……。

などと、年よりじみたことをいってるが、もう若くもないことは事実(汗)。

このところ自分のサイトのもろもろの記事が滞っているのは、気分的にアンダーだからでもある。いろいろと書きたいことや、思うところはあるのだが、なかなか書く気分にならないのだ。

世の中、そうそう思い通りにはいかないものだが、悪いときには悪いことが立て続けに襲ってきて、さらに気分が落ちこむ。あれこれと意気込んで取り組んでみても、自分が想い描くような結果に結びつかない。運に見放されたか?……と、悲観的な思考の堂々巡り。

もっと面白いことがしたい――。

なにが面白いことかといえば、夢中になれること、刺激的で時間が経つのも忘れるような日々……みたいなことだ。最近、そういうテンションというか気分になることが少なくなった。

なにかが物足りないのだ。

刺激が乏しいというか、熱く燃えるような日々から遠ざかっている。

軽い鬱状態……なのかもしれない。

これまでの人生で、どん底だと感じた時期が、一度ある。東京に上京してきたばかりの頃だ。周囲の反対を押し切って、田舎から出てきた私には、具体的な目標や計画があったわけではなかった。とにかく、閉塞感に陥っていた、それまでの環境から抜けだしたかったのだ。理由はなんでもよかった。

上京するからには、とりあえず仕事がなくてはならない。労働条件は度外視して、採用してくれるという某アニメスタジオに入った。しかし、それは上京することの理由と手段でしかなかった。じつのところ、過酷な労働条件と低賃金には閉口した。

ふと、自分はここでなにをしているんだろう?……と、自己嫌悪に陥ることも度々だった。辛かった。無力な自分が情けなかった。自分があまりに矮小な人間に思えた。

――いつまでもこんなところにいたら、俺はもっとダメになる。

田舎の檻の中から飛びだしたつもりだったが、東京でもっと狭い檻に飛びこんだだけだったのだ。だが、ひとつだけ利点があった。田舎と違って、東京には可能性があったことだ。檻を飛びだすのは簡単だ。自分で扉を開けて出ていけばいいのだ。

私は実際、そうした。転職し、技術を身につけて、最後にはフリーランスとして独立した。フリーランスになってからも、仕事相手は徐々に変わっていった。出版関係とのつきあいが始まったのも、独立した成果だった。

上京したいと思ったときの動機は、SF関係、出版関係で仕事をしたいということだった。上京して5年目には、いちおうの目標は達成していた。いちおうというのは、出版関係ではあったが、ほんの下請けであり傍流だったからだ。

この程度で満足できるわけがない。私の野望はもっと大きく、もっと上を目指していた。次なるステップを登らなくてはならないと思っていた。

だが、次なるステップアップは容易ではなかった。チャンスはなかなか巡ってこない。うだうだと日々の仕事に忙殺されているうちに、十年が経った。

なにもしていないわけではないが、なにかをしたという実感も結果もないのが、現在だ。

もとより、私は特別な才能や秀でた能力を持っているとは思っていない。自分にあるのはSFに対する“夢”と“好き”という、想いだけだ。一度しかない人生ならば、とことん自分の生き方を試してみたいのだ。もし、自分の人生に価値があるならば、それを実証してみたい。私が、今、ここにいて、生きているのには理由があるはずだ。運命論ではないが、生かされているからには、なすべきことがあるはずだと思っている。

私がなすべきこととは、なんなのか?

それを確かめるには、生き続けて、生き様を見届けるしかない。

今現在、二度目のどん底状態にある。上京してきたときとは状況が異なるが、抜けだそうとして抜けだせないことでは共通している。ただ抜けだすだけではダメなのだ。狭い鳥かごから、広い鳥かごに移るのではなく、鳥かごから抜けだして空に飛ばなくてはならない。それには大きなリスクがともなう。飛び立っても、途中で力尽きてしまうかもしれないからだ。

……などと、偉そうなことを書いているが、こうして書くことで再確認しているのだ(笑)。

どんなに苦労しても、最後に笑えればいいのだ。

問題は、いつ笑える日が来るかということである。

なんとかなるさ。なんとかしてみせる。

私は深刻に悩むタイプではない。基本的に楽天家なのだから(笑)。

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