五輪サッカー男子:足りなかったもの

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北京五輪のサッカー選手

北京五輪のサッカー選手

五輪のサッカー男子……。
惨敗だった。

負けるべくして負けたという感じだった。
U23ということもあるが、日本が世界のレベルでけっして強いわけではないのは、わかっていたこと。FIFAランキングでは、わりと上の方にいることになっているが、それが順位の付け方のマジックだということは、以前のエントリーでも触れた。

FIFAランキングについての考察(みたいなもの)
FIFAランキングについての考察(その2)
FIFAランキングの偏差値(2008/07)

私が提唱した「均等化順位」で見れば、日本は70位くらいにいる。100位以内で見れば、世界の半分のレベルにも達していないのだ。

他国がオーバーエイジをフルに使って、強い国ですらさらに勝つための最大限の対策をしているのに、日本はそれすらもしなかった。オーバーエイジを使えば勝てたわけではないが、オプションは活用すべきだっただろう。遠藤や大久保は使えなかったが、ほかにも呼べる選手はいたのではないか? いなくても勝てると踏んでいたとしたら、あまりにも甘かったように思う。

三敗後の監督の発言が、日本のチームの姿勢を物語っているように思う。

スポーツナビ | 北京五輪 | コラム|オランダ戦後 反町監督&西川会見

反町 3試合でいい結果は出ませんでしたが、リスクを冒して攻める、連動性のある攻撃をするという姿勢に関しては評価していいと思う。戦い方に悔いは残っていない。

「悔いはない」……なんだか、情けないというか、戦う姿勢が感じられない発言だ。
「悔いる」とは、

失敗したり、うまくゆかなかったりしたことについて、別の処理をしておけばよかった、とあとになって残念に思う。くやしく思う。後悔する

ことである。
その悔いがないということは、別の処理をする必要はなかった思っていることであり、残念にも思っていないということになる。
そうなのか?

悔しがれよ!

応援していたファンは、悔しがっているだろうに。私だってそうだ。
当事者の監督が悔しくないというのは、問題ではないだろうか?

これが高校サッカーだったら、一生懸命やったからよかったね……でもいいかもしれないが、彼らはサッカーのプロなのだ。五輪はアマチュアの大会という形は取っているものの、実質はプロの戦いだ。

プロがプロたるゆえんは、結果で評価してもらうことだ。勝てば勝ち点3、引き分けで1、負けで0、それが評価だ。
「連動性のある攻撃をするという姿勢」が良かったかどうかは、勝ち点を取ったときに初めて評価されるものだろう。点が取れなかったのは、評価できるほどのレベルには達していなかったということだ。

戦いを見ていて、プロに対して高校生が試合をしているような錯覚に陥った。U23だけでチームを作ったことで、よけいにそんな感じがした。

初戦に負けたとき、
「あ、これはもう勝てないな……」と思った。

W杯でも、フランス大会とドイツ大会のときに、初戦に負けて、次戦からの立て直しができなかった。初戦で負けたことでガタガタになってしまった。
今回の五輪も同じだった。

言葉では、「気持ちを切り替えて」とはいうものの、負けたことを引きずってしまっていたのだろう。というより、勝てる気がしなくなってしまったのかもしれない。見ている方も、勝てる気がしなかった。その淡い予感すらなかった。

選手のコメントがいくつか記事になっているが、「いい経験になった」とか「次に活かしたい」とか謙虚なものが多かった。
「悔しい」という言葉もあるが、それほど悔しがっているようには受け取れないのはなぜだろう? 取材に対して冷静に対処している部分もあるとは思うが、どれほど悔しいのか激白する選手がいてもいいのではないか?

日本に足りなかったもの。
それは、とことん悔しがる激情なのではないか?

監督も選手も、負けてクールなのが、意気込みはそんな程度だったのか……と思えてしまった。

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