「悪意のない非常識」

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非常識

悪意のない非常識ほど困ったものはない。

当の本人(X氏としよう)は悪気はないのだが、ある人(A氏としよう)を著しく傷つけてしまう。

X氏に悪意がないのは、思考のロジックが異なっているからである。X氏はA氏のものを勝手に使って、あることをした。X氏は無断で借用したことを認識しているのだが、迷惑はかけていない、と思っているのだ。

A氏は自分の大切なものを勝手に使われて怒りを感じ、他の人に誤解されてしまうことを気に病んでいる。

A氏は「勝手に人のものを使うなんて非常識」と思っている。

X氏は「なにが悪いのか? あなたには関係ない」と憤慨する。

両者はまったく考えかたが違い、噛みあうところがない。X氏とA氏の常識は、まったく尺度が違っているからだ。

これは一例だが、いまの世の中、常識だろうと思っていることが、常識として通用しない相手がいる。

社会常識、公序良俗、善悪の判断、価値観の相違……、なんと呼んでもいいが、話がまったく噛みあわないどころか、言葉の意味すらも通じない人がいる。

こういう場面に遭遇すると、議論すること自体が無意味になってしまう。

「信号は赤だ。止まらなくてはいけない」といっても、

「たしかに赤だ。だが私は止まる必要を感じない」と反応されたら、相手の行動を戒めることなどできない。

こうした価値観や判断の違いを公正に正すために「法律」がある。法律は「常識」の基盤だ。だが、物差しとなるべき法律でさえも、解釈の仕方はひとつではない。

やっかいな世の中である。

と、こんなことを書いているのは、某サイトでこの問題に直面してしまったからだ。

顔の見えないネット社会は、こういう問題がより複雑になっているのである。

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