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先の年末進行の話の続きでいえば、最近はメールやFAXで打ち合わせをしたりデータの受け渡しをしているので、直接編集部の担当者と会う頻度も減っている。そのため、以前は週に三度は電車に乗って編集部まで通っていたのが、週に一度くらいになっている。

というわけで、在宅電脳仕事人となっている昨今である。

昨日は、編集部まで出向いた。

たまに電車に乗ると、人を観察するのが面白い。自分も人からなにがしか見られているわけではあるが、それは棚にあげておこう(笑)。

●駅のホームでゲロを吐く女子大生

編集部からの帰途の途中、地下鉄三軒茶屋駅でのこと。

電車を待っていると、向かいのホームで壁に向かって屈んでいるひとりの女性がいた。見たところOLというよりは女子大生のようであった。

駅には真ん中に線路があり、上りと下りのホームが線路をはさんである。

女性はベンチに荷物を置き、その脇にしばらく屈みこんでいた。

なにをしているんだろう? と思うほどに、不自然な行動だった。おそらく注目していたのは私だけではないだろう。私のいた側のホームから丸見えだったのだ。ホームには会社帰りの人々が、20〜30人はいた。

と、彼女の行動の不自然さの答えが出た。

彼女は壁に向かったまま、ゲロを吐いたのだ(汗)。

オイオイ……。

忘年会シーズンだし、吐かれたあとのゲロに遭遇することは珍しくないが、現行犯を目撃することはめったにない。

汚物の生々しい痕跡を見るとき、イメージとしては犯人は男だろうと勝手に思ってしまう。単なる先入観だが、女性のゲロ吐き現場を見ることになるとは……(汗)。

彼女は見られていることを意識していないのだろうか? たぶん、そうなのだ。

だが、彼女のいる位置から、ほんの少し歩いて階段を上れば、トイレがあるのだ。私が挙動不審な彼女に気がついてから、吐くまでの時間があれば、トイレまでたどり着けたはずである。どうして、そうしなかったのだろう?

おそらく、そこまで頭が回るほど冷静ではなかったのだ。あるいは、この駅は彼女の下車駅ではないために、不案内だったのかもしれない。

そうこうしているうちに、私の側に電車が滑りこんできた。

彼女は自分の吐いたゲロをどうするつもりだろう? きっと、そのままにして去っていくんだろうなー。

尿意や便意の場合だったら、必ずトイレにいったはずだ。なのに、ゲロだとどうして公衆の面前で平然と出してしまえるのか? 行為と結果としては同等だと思うのだが……。

ところかまわずゲロを吐くのは、犬猫と変わらない。せめて後始末をするくらいには、人間性を持っているべきである。

●悪臭を放つケバイ女性

池袋で妻の携帯と連絡が取れたので、待ち合わせて一緒に帰ることにした。電車を乗り継ぎ、私の家への路線に乗った。

さほど混みあっているわけではなかったが、車中に入ったとたん、異臭が鼻をついた。

ウゲッ!

私はそそくさと場所を移動する。

趣味の悪い香水の匂いだ。それも大量にふりかけている。

「どうしたの? 急に」妻がいった。

「香水だよ。ひでぇ匂い」

周りの人はよく我慢しているものだと思う。

香水は使い続けていると、だんだんその匂いに鈍感になっていくという。匂いを感知するセンサーが特定の匂いに対して耐性と習慣性ができてしまって、感知できなくなってしまうのだ。そのため、当人には匂いが薄まったように感じるため、使用量が増えていくのだ。

悪臭を放っている女性(男性でも)は、自分の匂いがわからなくなってしまう。結果として、歩く香水魔人となってしまうのだ。

これは「耳」でも同様である。

ウォークマン等で始終大音響で音楽を聴いていると、耳の音を感知する細胞が壊れていく。最悪の場合、難聴になってしまうという。

最近は、ヘッドフォンの密閉性も高まってきたので、以前ほどシャカシャカと音を漏らしている迷惑な輩も減ったが、逆に密閉性が高いことで耳への負担も増えているだろう。

鼻にしろ耳にしろ、デリケートな器官である。心当たりのある方は注意した方がよい。

●車中で現金を数える中年男性

その男性は白髪交じりで、40代後半だと思われた。

私はつり革につかまって立っていたが、彼は私の斜め前に座っていた。

大事そうに小さなカバンを膝の上にのせ、なにやらゴソゴソとカバンの中を探っていた。

目の前でゴソゴソとやられると、思わず注目してしまうものだ(笑)。

――と、男性は口を開けたカバンの中で、現金の束を数え始めた。

オイオイ……。

ざっと見ただけで、50万はあると思われた。それを彼は一枚一枚数えているのだ。

私は目をそらしてしまった。

ボーナスでも出たのだろうか。だが、彼のあまりの無防備さにあきれた。もし、心ない他人がそれを見たら、格好の獲物ではないか。

財布や現金を出すときには、用心が必要だ。スリやひったくりに、いつ遭うかわからないからだ。多額の現金を持っていることを人目にさらすのは、犯行をあおっているのに等しい。

きっとこの人は、いつかお金のことで痛い目を見るだろうと思った。不用心さは大らかさでもあるが、周囲への警戒心が薄いことでもある。簡単に人を信用して騙されたり、美味しい話しに飛びついて失敗するのだ。

そうならないことを、他人ごとながら心配するが、きっと痛い目を見ないと気がつかないのがこういうタイプの人なのである。

電車は移動のための手段だ。

同じ電車に乗り合わせ、たまたま近くに居合わせることとなった人とは、束の間の接近である。たいていの場合、二度と会うことはない。通勤している人の場合には、同じ時間、同じ電車、同じ乗り場所で会うことがあるかもしれない。

普段はそれっきりの接近であるために、他人は無関係な他人でしかない。

だが、その他人もそれぞれに自分の生活を持ち、それぞれの人生を歩んでいる。

無関係でありながらも、ほんの一瞬関係を持ってしまった赤の他人。

電車は人を運んでいるが、同時にそれぞれの人生も運んでいる。いわば、個々の人生を乗せた見本市のようなものでもある。

顔をしかめるようなことも多いが、観察対象としては面白いともいえる。

――と、私と妻が他人からどう見られているかというのも、想像すると面白い(笑)。

なにかと私に話しかける妻と、ウンウンと頷くだけの私。妻の話の内容は、けっこう奇抜なので、聞いていたら「なんのこっちゃ?」と思われることもあるだろう。

――と、私たちを見ているであろう、周囲の人の反応を私は観察している。

これはけっこう興味深いのだ(笑)。

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