私人と公人の境目は?

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私人と公人の境目は?

眞子さまの結婚を巡る報道は、婚姻届が出されるまで盛り上がるのだろう。
反対派、賛成派がいろいろな意見を述べているが、趨勢としては反対派が多いようだ。
私はいちおう賛成派。
結婚したければ、すればいいじゃん。
ただし、「結婚=幸せ」ではないよって話。

賛成派の記事なのだが、ちょっとツッコミ(^^)

眞子さまと小室圭さんの結婚報道に、露呈したこの国の「自己矛盾」(御田寺 圭) | 現代ビジネス | 講談社(1/6)

多くの障壁やトラブルを乗り越え、数々の誹謗中傷の嵐にもめげず、よくぞ愛を貫いた、と申し上げたい。

(中略)

世間の多くの人は都合よく忘却しているようだが、彼は交際相手がたまたま皇族であっただけの「私人」である。私のように言論を生業にして世間にもの申す仕事をしている者でもなければ、なかば「公人」のごとき扱いを受けるタレントでも、ましてや政治家でもないので、これほどまでの誹謗中傷を甘受するべき道理などありえない。

(中略)

つい先日、メンタリストDaiGoの「ホームレス者・生活保護受給者差別」に、「能力主義的な差別」だとか「優生思想」だとか声を挙げてあれほど糾弾しておきながら 、小室氏に対しては能力主義丸出しのコメントを向ける人びとが大量にいる。小室氏に向けられるこうした能力差別をもとにした侮蔑的な論調には、世間一般の人びとだけでなく一部の知識人や文化人もカジュアルに便乗していた。

(中略)

だが、平時においては個々人の自由や人権を擁護するリベラリズムを支持しておきながら、小室氏と眞子さまの私的選択の自由を尊王論者よろしくバッシングしていた者たちは、自分の言行不一致を反省してもらいたい。ネットの有象無象にかぎらず、テレビの知識人やコメンテーターでも文化人やオピニオンリーダーでも、そうした者は大勢いた。恥を知るべきだろう。

 

「愛を貫いた」かどうかは、外野の憶測でしかない

結婚の目的と意味」で触れたが、眞子さまの目的は「自由になりたい」ことにあるようなので、愛の有無にかかわらず結婚は手段になっているのかもしれない。
自由になるための結婚であったとしても、私は支持する。
結婚は、所詮、法的な契約であり、当事者の愛の有無は問われないものだ。
自由になることが幸せの前提であるなら、相手が誰であっても関係ないのだろう。
もちろん、愛のある夫婦であれば、それに越したことはない。
仮に数年で離婚したとしても、自由は得られたのだから、それでよいではないか。

小室氏は「私人」か「公人」か

結論からいえば、「公人」だと思う。
婚約会見をして、世間にお披露目した時点で、彼は「公人」として扱われるようになった。そのために彼に警護がついたのだし、「眞子さまの婚約者」という肩書きというかステータスがついた。
留学に際しても、「日本のプリンセスのフィアンセ」という特別待遇を受けられたわけだ。
正式に結婚していなくても、婚約した時点で扱いは公人になっていたと考えられる。

発言者を特定しない抽象論では意味がない

メンタリストDaiGoに対して批判的論調を発言した人と、小室氏に対する誹謗中傷の発言をした人が、同じ人たちである根拠が示されていない。
漠然と同列に並べているのだとしたら、憶測であり印象論になってしまう。
これについて批判するのであれば、発言者を特定しないと、同一人物が矛盾する発言をしていたという根拠にならない。
異なる人々がそれぞれに発言していたとしたら、この批判は見当違いということになる。
一部の人たちが該当するからと、全部が同じだとする考えかたは優生思想と同等である。

テレビの知識人やコメンテーターでも文化人やオピニオンリーダーでも、そうした者は大勢いた。恥を知るべきだろう。
……というのも、漠然としすぎている。
これではテレビに出ている者は、みんな同罪だといってるようなもの。
そうではないはずで、誰のことを指しているのか、名指しすべきだ。十把一絡げで同罪にされた人々は憤慨するだろうし、そういう扱いも差別になってしまうんだ。

差別だ侮辱だと書き立てている御田寺氏だが、氏の書き方も差別的であり侮辱的になっている。
それもまた「自己矛盾」なんだ。

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