「被災ペット」の悲惨な運命

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「週刊新潮」4月4日号の見出しに……

死亡率10倍! 犬猫700匹が閉じ込められた死の檻! 「被災ペット」ボランティア「イタリア人女性」美談の陰に死屍累々

……というのがあった。
その中吊り広告が以下。
「週刊新潮」4月4日号

「週刊新潮」4月4日号

「週刊新潮」4月4日号


地震で被災した人々の問題も深刻だが、取り残されたり飼えなくなったペットたちの問題も深刻だ。一部報道されたりもしたが、あまり関心を集めていないのが現状だろう。
動物ボランティアの人たちが活動はしているが、人や街に対するボランティアに比べると注目されることは乏しく、資金的な援助が優遇されているわけでもない。

ボランティアと名のつくものが、すべて善意の固まりでできているわけではない。中には、悪意のある者、悪質な場合もある。

特に、相手が動物の場合、法的には「物」扱いされることもあるので、「生きもの」として扱われないために悲惨なことになることがある。
上記の記事は、その極悪なケースだ。

私と妻は、猫ボランティアに関わっているから、哀れな動物たちのことを思うと、胸が痛む。

しかし、しかしである。
この被災した700匹のペットたちの悲惨な末路を問題にするのであれば、毎年保健所などで殺処分される30万匹超の犬猫のことも問題にしてくれ。

全国の犬猫殺処分 | 内閣府特定NPO法人ConoasS(コノアス)

 平成19年度の犬殺処分数は100,963匹、猫殺処分数は209,494匹、犬猫合計で310,457匹にのぼります。1日850匹、約100秒に1匹の犬や猫が殺されています。

被災ペットは特殊な事情があるが、日常的に殺処分されている犬猫は、人間の勝手な都合で捨てられたり飼育放棄された動物たちだ。
飼えないから処分、飽きたから処分……そんな屁理屈だ。

ペットを飼えなくなったからと保健所に引き取ってもらうのは、殺してくださいと依頼していることと同義なのだ。
世間の目には触れないところで「処分」されているから、多くの人たちは見て見ぬふりどころか、気がつくことすらない。

見殺しにされた被災ペットの死に方が悲惨……という見方があるかもしれない。苦しみながら死ぬのはかわいそうだと。たしかに、それも一理ある。
だが、殺処分で瞬時に殺されるのと、苦しみながら死ぬことと、いかほどの違いがあるのか?
個人が殺しているのか、公的な機関が殺しているのかの違いはあるが、ペットたちが殺されていることに変わりはない。
問題なのは、人間の都合で動物たちを死に追いやっていることなのだ。

飼い主のいない犬猫たちを、1頭でも救おうと活動しているボランティアの人たちが少ないながらもいる。そのほとんどは資金を自腹だ。注目されることも援助されることもなく、大好きな動物たちを救いたいという思いだけで活動している。

ボランティアを名乗っているからと、善人ばかりではない。
これはどんなボランティアにもいえることだ。大部分は善意のボランティアには違いないが、ときどき悪意のある人間がいるのも事実。

私たち夫婦の運営する「迷い猫.NET」「もらい猫.NET」も、ボランティア活動の一環だが、このサイトで情報提供してくれる人たちもボランティアで協力してくれている。

互いに助け合う精神に基づいているが、ときどき問題発言でサイトを混乱させられることがある。人の神経を逆なでするような書き込みや、あたかも自分が管理者であるように振る舞う人がいる。悪意があるとしか思えないが、メールで注意すると逆ギレして怒る。人の注意など聞く耳を持たず、勝手なことをする。

悪意がないとすれば、自己満足のための善意の押し売りだ。当人はいいことをしているつもりでも、周りは迷惑していることに気がつかない。
「悪意を自覚しない善意」とでもいうべき行動を取る人が、ときどきいる。
その見分けが簡単にはつかないことが、問題を引き起こす。

日本で飼育されているペット(犬猫)の総数は、約1200万頭。
そのうち、年間約30万頭が殺処分されているという現実。
比率にして、約2.5%。
動物だからあまり問題にされないが、人間に置き換えたとき、100人のうち毎年2人が殺される……と考えたら、とんでもない数字だ。
「命は尊い」と教えるが、ペットに関しては例外である。

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