結婚すると、男女いずれかの姓に変わる。多くの場合、男性の名字に女性は変えなくてはいけない。それを別々の姓でもいいようにする。
大賛成だ。
私は既婚だが、同姓である必要性はまったく感じていない。すでに結婚十年目なのだが、妻が私の姓で呼ばれることに、いまだに抵抗がある。私の妻は●●なのであって、私の姓である○○ではないのだ。妻も昔からの友人たちからは旧姓で呼ばれているし、ハンドル名には旧姓を使っている。結婚後に知りあった人たちや、形式上、書類上でしか、私の姓を使うことはない。
ちなみに、「諌山」というのは、私の本名ではない。母の旧姓なのだ。九州のごく一部の地方に由来する名前だが、珍しい名前だと思う。私の本名の○○も全国的には少数派だが、出身地ではクラスに2〜3人はいたポピュラーな名前だった(漢字は違うが、読みが同じものも含む)。「諌山」という名前をペンネームとして選んだのは、珍しい名前であることと、大好きな母の名前だったからだ。
名前が変わると、人格まで変わるような気がするから不思議である。私が「諌山」の名前を使うときは、「諌山」という別人格の人間になっている。これは意図的だからいいのだが、結婚して名前を変えなくてはいけない、多くの女性は困った問題だろう。長年慣れ親しんできた名前を否定され、別人にならなくてはいけないのだ。
妻も結婚して姓が変わったときには、もろもろの書類上の手続きにたいへんな労力を費やした。銀行口座、保険、カード会社、パスポート、住民票の登録など、名前が記載されているすべてのものを書き換えなくてはならなかったのだ。印鑑を登録しているものは、印鑑も作り直すことが必要だった。まったく無意味な労力である。
同姓を支持する人たちの論拠は、いささか古くさいというか必然性が乏しい。家族の崩壊につながるとか、親が別々の名前だと子供が戸惑うとか、発想そのものが貧困だ。同姓であっても崩壊する家族は、とっくに崩壊しているし、子供がどうとかいうことはたんなる習慣の問題だ。最初から別々であることが当たり前になれば、戸惑う理由はない。
もっといえば、結婚制度そのものがナンセンスだと私は思っている。
私と妻が結婚したのは、ふたりが望んだからではなく、妻方の親に形だけでもつけてほしいといわれたからだった。結婚以前から、すでに3年以上同棲していたし、そのままでもなんの問題もなかった。私たちは結婚したかったのではなく、一緒に生活したかっただけなのだ。いまでも夫婦という意識よりも、共同生活者であるという意識である。妻が夫につくすような関係ではなく、お互い対等だし、それぞれに仕事を持っているので、経済的にも独立している。つまり、家計というのはうちには存在しない。日々の生活に必要な経費を分担しているが、基本的に自分で稼いだお金は自分で管理し使う。
夫婦別姓が認められるなら、私は妻に旧姓に戻ってほしいと思っている。またまた手続きがやっかいなので妻の判断しだいだが、別姓であれば同棲時代のようにお互いに名前も独立していて、いい意味での緊張感があって好ましい状態になるように思う。
もっとも、同姓であれ別姓であれ、重要なのはふたりが互いを必要として、ずっと一緒に生きていきたいと思うことなのだ。
妻は私にとって、大切な人なのだから――(笑)。