今も昔も、変わらないなー、と思った記事。
教育のIT化が進められようとしているが、なかなか進まないという。
小寺信良「ケータイの力学」:教育のIT化を再考する(1) – ITmedia Mobile
2010年から11年頃にかけて、電子教科書導入の議論が盛り上がった時期がある。「すでに他国では全面移行した国がある、日本はいつまでも紙で大丈夫か」という論調が主であった。
(中略)
紙派の主な意見としては、
1. 導入コストを誰がどう負担するのか
2. 紙の使い勝手を超えられるのか
3. 先生が使えない
ポイントは「先生が使えない」という点。
先生といっても、若い先生もいれば中年以上の先生もいるはず。おそらく、若い先生はIT化してもそれほど問題ないのではと思うが、障害となるのは年老いた先生なのだろう。
中年世代でも40代くらいだと、ワープロ世代のはずで、そこそこついていけるように思う。30代であれば、コンピュータは日常的に使ってきたのではないか?
足を引っ張っているのは、50代以上というところか。その世代が、学校では役職的に上の方にいるから、保守的になってしまうのかもしれない。
私は、高校生だった1970年代後半からコンピュータを使ってきた。私の通っていた高校には、当時としては珍しくコンピュータが導入されていて、カリキュラムがあったからだ。
プログラム言語はFORTRANとCOBOLで、記録メディアが紙テープの時代だ(笑)。16ビットのコンピュータで冷蔵庫くらいの大きさがあり、起動するのに30分はかかっていた。
最初は、先生にコンピュータの基礎を習った。
だが、半年も過ぎた頃には、先生などいなくても自分たちでコンピュータを動かし、プログラムを組んで好き勝手にやっていた。コマンド入力のための電子タイプライターをタイピングするのだって、先生よりも早くなっていた。
子どもの方が、早く使いこなしてしまうのは、今も昔も変わらない。柔軟性と適応力のある子どもは、面白いことはすぐに覚えてしまうものだ。向き不向きや好き嫌いもあるから、コンピュータが苦手な人もいたが、クラスの5割くらいはコンピュータをそこそこ使えるようにはなった。
あれから40年くらい経っても、いまだに「先生が使えない」というレベルで足踏みしているのが情けない。
子どもたちは進歩しているのに、先生が劣化しているのだろうか?
それとも、高齢の先生ばかりなのだろうか?
まさか、若い先生でも「使えない」というのだろうか?
紙がいいとか、PCまたはタブレットがいいとか、二者択一論になっているように感じるのだが、両方をうまく活用すればいいだけではないのか?
手で書いた方がいい場合もあるが、それもペンタブレットで書けば同じようなことだし、要は道具の使いよう。
先生たちにITアレルギーがあるのか、紙信仰があるのかと思ってしまう。
次世代を担う子どもたちの能力を、伸ばしてやるのが教育の果たす役割であるはず。
にもかかわらず、先生である大人が「使えない」と、IT化の足を引っ張っていては本末転倒だ。
学校は誰のためにあるのか。
先生にとっては、仕事であり職場なのではあるが、先生の都合で子どもたちがIT化教育で学ぶ機会を制限することはいかがなものか。