困っている人を助ける親切は賛美されることだが、ときには親切が悲劇を招くこともある。
駅の階段でベビーカーを持って上れない人がいたらどうするか?
という、仮定の設問を出している記事なのだが……
例えば朝の通勤ラッシュ時、ベビーカーを持って階段を上れず困っているお母さんを見掛けたとき、あなたはどうしますか? 助けずそのまま素通りしてしまった、という経験がある人もなかにはいるかもしれません。
結論からいうと、
私は代わりにベビーカーを持って階段を上がることはしない。
エレベータで上がるように促す。
理由は2つ。
本来、階段ではベビーカーは子供を乗せたまま持ち運んではいけないものだ。また、荷物が多すぎてベビーカーが重くなり、運べないケースもあるようだ。
ベビーカーを使う場合(母親とは限らない)に、階段ではどうするか?……といった想定をしておくことが肝要だろう。
誰かに助けてもらって、転倒などの事故が起こってしまったら、親切が悲劇になってしまう。
そういうリスクもあるということ。
ときどき子供を乗せたベビーカーを抱えて階段を上っている人を見かけるが、危なっかしくて見ている方がヒヤヒヤする。エレベータまで行くのを面倒くさがっているんだろうが、そこでリスクをかける必然性がない。
では、エレベーターがない場所ではどうするか?
階段しかない場合は、助けが必要だろう。
そういう場合は、ベビーカーの持ち主が「助けて欲しい」と意思表示する方がいいと思う。誰かが声がけしてくれるのを待つのは違う気がする。
困っているらしい人を見て見ぬふりというのは、トラブルに巻き込まれたくないという自己防衛でもあるんだ。都会は薄情だともいわれるが、同時に危険が多いのが都会でもある。いきなり襲われるという事件は少なくない。
ベビーカーを運んでくれた人が、ほんとうに親切な人であればいいが、そうでない場合もありえる。すべてを疑うのは悲しいが、信用しすぎるのも問題だ。
誰もが助け合える社会……というのは理想だが、誰もが善人だとは限らないのも事実。
うちの妻は足腰が悪くて、階段の上り下りには難儀する。一段ずつ、ゆっくりと上り下りするため時間がかかる。そんな彼女は他人から見ると、のろまで邪魔に見えるのだろう。ときどき後ろから突き飛ばされることがあるという。そういう悪意が身近にあるのも現実。
だから私は彼女にいう。
「赤の他人は敵だと思って警戒しろ」と。
親切な人もいるだろうが、悪意をぶつけてくる人もいる。
他人に親切を期待してはいけない。
それが都会でのサバイバルでもあると思う。