世界の人口は増え続けているが、それが今後30年で減少に転じるという研究報告。
未来予測は難しいものだが、このシナリオ通りの未来が来るとしたら、世界のありようは大きく変わる。
「人口爆発」は起きず、逆に「人口衰退」の可能性。
「世界人口が今後30年で減少に転じる」という、常識を覆す「未来予測」の真意|WIRED.jp
2050年までに地球上には90億の人間が溢れ、2100年には110億人にまで膨れあがる──。そんな国連の予測に異議を唱える書籍が米国で話題になっている。米国で2月5日に発売された『Empty Planet(無人の惑星)』の著者ふたりは、なぜ数字の山を丹念に読み解くことで、従来とはまったく違った未来予測を提示することになったのか。
(中略)
「およそ30年で、世界人口は減り始めます」と、彼らは言う。「いったん減少が始まれば、二度と増加に転じることはありません」
(中略)
この世界の先行きや経済の展望、今後の都市計画を考えている人々の多くは、未来の人口規模の予測値をベースにしています。そしてそれに基づいて、実際に意思決定を行っているのです。けれどもよく調べれば、この先、若者の人口が大幅に増えることはなく、むしろ医療の進歩によって寿命が延び、高齢化が進むとわかります。
先進国といわれる国では出生率が下がり、高齢化が進んで、人口ピラミッドが高齢者側に偏っているのは周知のこと。
人口が増加しているのは、いわゆる発展途上国の国々だとされてきた。
しかし、途上国はいつまでも途上国なのではなく、生活水準は上がっていく。
それにともなって、出生率も先進国と同様に低くなる傾向にある。
そもそも、天井知らずに人口が増え続けられるわけではない。
たとえば、水槽で熱帯魚のグッピーを飼うとする。昔、実家でたくさんの熱帯魚を飼っていたのだが、グッピーは比較的繁殖させやすい魚だった。
水槽の大きさには限度があり、ひとつの水槽の中で生息できる数にも限度がある。10尾くらいは余裕だが、100尾は多すぎ。それが1000尾となれば、もはや生息環境には適さない状態になり、大量に死ぬ。
死ぬ原因は酸欠であったり、水質の悪化であったり、共食いだったりする。多すぎる数は、それ自体がストレスになる。
生きられる環境には、制約があるものなのだ。
地球も同じ。
人間の大きさから見れば巨大な地球だが、地球という入れ物の中で生きられる人間の数にも限度がある。
その上限がどのくらいかは諸説あるが、飽和状態に近いことだけは確か。
土地は無限にあるわけではないし、住める条件を満たす土地はさらに少ない。
食糧の生産能力にも限界があり、養える人口にも限度がある。
富は有限なのだ。
人間は自然を支配し、自然から独立した存在だと錯覚しているが、じつのところ人間の営みは地球の中の自然現象に組みこまれている。文明や科学ですら、地球の生態系の中の一部でしかない。数万年のスパンで地球環境の変化を見れば、人類の行動は些細なことなんだ。
地球温暖化を問題視したりもするが、それが人間由来の現象だとしても、人類文明が今後100万年後も存続する可能性は低い。人類が滅んでも、100万年後の地球には、新たな生態系が繁栄しているだろう。それが地球の過去の歴史だ。
水槽のグッピーと同様に、地球の人口が増えすぎれば、自然の摂理として人口は生息可能な数まで減少する。
食糧不足で飢え死にするか、疫病で間引きされるか、戦争で大量死するか、方法はなんであれ増えすぎた人口は調整される。
グッピーの観察では、そうした増減は自然現象だと判断する。水槽の中で満員電車のように、ひしめきあって生息することはできないからだ。
人間も同じだよ。
人間ではない第三者が、地球を観察していれば、同じように判断するだろう。
「増えすぎたから、自然に数の調整がされた」と。
人口爆発が起きるためには、100億人を超える人間が食べていけるだけの食糧やエネルギーが必要だ。しかし、その生産能力はない。
少子化が進み、一足早く人口減少に転じた日本は、この日本では人口の上限に達したという生物としての本能が働いているように思える。
人口減少の次は、寿命の停滞、さらには寿命の低下が起こるのではと予想する。
それは、前エントリの『レジ袋の有料化はスケープゴートか?』や『「農薬」は発達障害の一因か?』にも関連するが、自ら作り出した環境によって、種としての存続を脅かしているからだ。
未来予測は難しい。
だが、経済成長が際限なく右肩上がりにはならないし、人口も上限なく増え続けられるわけではなく、寿命も延び続けられるわけではないことだけは明白だろう。
なにごとにも、限界や制約がある。
なぜなら、私たちは「人」という生物のひとつなんだ。
ある生物が生きられる条件は、極めて限定的である。