中学・高校の校則には、基本的人権や平等・差別などを無視したローカルルールが多い。
その典型が、髪型や髪の色だ。
なぜ、みんな一緒という画一化したルールを押しつけなければいけないのか?
「地毛証明書」、都立高の6割で 幼児期の写真を要求も:朝日新聞デジタル
東京の都立高校の約6割が、生徒が髪の毛を染めたりパーマをかけたりしていないか、生まれつきの髪かを見分けるため、一部の生徒から入学時に「地毛証明書」を提出させていることがわかった。勘違いによる指導を防ぐ狙いがあるが、裏付けのために幼児期の写真を出させる例もあり、専門家から疑問視する声もある。
バカバカしい校則というか、日本ならではのルールだね。
様々な人種が共存するアメリカやヨーロッパでは、これは人権侵害、人種差別になる。
日本は「単一民族」であるという感覚があるため、みんな一緒、肌の色も髪の色も同じ、黒髪以外は日本人じゃない……というのが「平等」だと勘違いしている。
みんなが同じでなければいけない……ことが、差別意識を植え付けることになっている。
出る杭は打たれる社会だ。
これが教育であれば、みんなと同じでない人間は、排除したり強制(矯正)しなくてはならない……と、教えているようなものだ。
それでいいのか?
個性を尊重し伸ばすとかなんとか、教育方針として掲げられるようになっていたと思うが、髪の色の個性は認められないらしい。
髪を染めることが、不良の徴候とすること自体が偏見だろう。どこかの学校では、地毛が黒ではないから、黒く染めさせるというのも過去にあったが、どうして生徒を画一化したがるのか?
まるで、ミカンやリンゴで、大きさの違い、不格好なものや傷のあるもの、色の悪い商品を選別するのと同じだ。
きっと、学校には「日本人の規格」という設定項目があるに違いない。
規格に合わない生徒は、不良品の烙印を押し、排除したいのだ。そして、出荷(卒業)するときには、粒の揃った見た目のいい人間を市場に送り出せるというわけだ。
髪を染めなければ、成績がよくなるという因果関係でもあるのだろうか?
中高生は反抗期でもあるため、規制されると反発したくなる年頃でもある。校則を破っても髪を染めるのは、ひとつの自己主張でもあると思う。
その生徒の主張に耳を傾けるのが、教育者のすることではないのか?
留学生として、外国人がやってきても、同じように髪は黒、肌は黄色人種の色にしろ、というのだろうか?
外国籍は対象外というのであれば、外国籍を持つ帰国子女はどうするのだろうか?
黒髪でストレートでなければいけないことの、論理的な理由を明示して欲しいものだ。
髪型、髪の色を自由にしてしまえば、茶髪だろうが金髪だろうが、特別なことではなくなる。そんなことよりも、学業やスポーツに専念できる環境を整えることに注力した方がいい。
いったい、いつまでこんなくだらないことをやっていくつもりなのか?