新聞の権威というか信頼性も墜ちたものだと思うのが、以下の記事。
【やじうまWatch】 Twitterのau公式アカでもめ事発生、たった4時間でも手遅れ ほか -INTERNET Watch
■ 朝日新聞の「天声人語」で「自分褒め」だと2chでの評価
朝日新聞の朝刊1面の下部に掲載されている「天声人語」。日本人なら誰でも知っている、有名なコラムだ。ここに、日本新聞協会が募ったエッセーを紹介する形式で、新聞を褒める内容を掲載している。しかも、褒めるために対比しているのは、インターネットだ。「インターネットでは得られない情報が、伝える人と届ける人の誠意の集大成として新聞になる」という内容だ。あの天声人語で、新聞を持ち上げるために、ネットを腐らせる内容にするとは、目を疑うより仕方がない。2ちゃんねるでは関連のスレが4本立ち、天声人語で自分自身を褒めるようになったらおしまい、といった雰囲気で書き込みが蓄積されているところだ。
「天声人語で自分自身を褒めるようになったらおしまい」というのには、まったく同感。
自画自賛はよほどの自信家か、大馬鹿ものだろう。
もとの「天声人語」が以下。
2009年10月18日(日)付
ご近所を歩くと、回収待ちの古新聞を戸口で見かける。弊紙であればもちろん、他紙でもお宅に一礼する癖がついた。無料の情報があふれる時代、新聞代を払ってくださる読者は社を超えて大切にしたい▼感謝の念はおのずと新聞を配る人にも向かう。日本の新聞の95%は戸別配達されている。「新聞配達の日」のきょうは、日本新聞協会が募ったエッセーから紹介したい▼北海道苫小牧市の亀尾優希さん(9)は、母の新聞配りを手伝う。貧血気味のお母さんは団地の3階まで、娘は4階と5階。「家に帰ったら、お父さんのおべんとうにいれるたまごやきを作ります。こうして、わたしの一日ははじまります」。小さな働き者を真ん中に、固く結ばれた家族が浮かんでくる▼「インターネットでは得られない情報が、伝える人と届ける人の誠意の集大成として新聞になる」。そう書いてくれたのは、東京都文京区の岩間優(ゆう)さん(14)だ。足の悪いお年寄りが新聞を心待ちにしていると知り、単なる「記事の集まり」を超えたぬくもりを感じたという▼人の手で運ぶ新聞が温かいのは自然なことかもしれない。今年の新聞配達の代表標語も〈宅配で届くぬくもり活字の重み〉である。凍える朝でも嵐の夕でもいい。情報の重い束を運ぶ42万人に思いをはせたい▼新聞社はネットでも発信しているが、そこで再会するわが文は心なしか「誠意」を割り引かれている。特にコラムの場合、体裁の違いはそれほど大きい。どうか小欄は、ぬくもりを添えてお届けする「縦書き」でお読み下さい。
新聞の論調というか立場には、どこか「自分が上」というような高慢なところがある。
ネットを「下」に見ている感じで、「オレの方が偉い」という態度が見え隠れする。
新聞の権威……なのかもしれないが、その権威を振りかざすために「奢り」に陥っているように思う。その結果が、業績の悪化なのだろうし、ネットを使った収益モデルを構築できないことにもつながっている。
そのことに関連した記事が以下。
大手新聞社が倒産する日(1)/山本一郎 (イレギュラーズアンドパートナーズ代表取締役)(Voice) – Yahoo!ニュース
◇欧米の新聞社は死屍累々の事態に◇
日本より一足先に、欧米の新聞業界は再編の渦中に突入した。彼らの悪戦苦闘の経営史は、本当に歴史に残る凄惨な状況である。
マスメディアとしての資本蓄積が進まなかった欧米の新聞社の事例では、日本の数年後を予見させる倒産劇が相次いでおり、もはや死屍累々といった事態になっている。アメリカでは地域ペーパーも含めて140近い新聞社、出版グループが参入しているが、21世紀に入ってから発行部数を伸ばした企業は事情が共通している。他新聞社を買収したか、通販事業など別事業から参入を受けて新聞という形態をとらない部数を増やしたか、フリーペーパーのような安価な情報提供手段を並存させ見た目の発行部数を出しているかである。純粋に新聞事業を拡大して発行部数を増やし、経営状態を改善させている新聞社は1社もない。
海外の事情を取り上げているが、日本も遠からず同じような事態に直面するのだろう。
しかも、日本には「押し紙」という悪しき慣習がある。
前にも書いたが、「押し紙」は詐欺である。実数を誤魔化して広告料をつり上げ、なおかつ嘘の発行部数を背景に「権威」を維持している。
つまりは、日本の新聞は「信用」がないということだ。
これでは「裸の王様」だ。
「天声人語」の言い分は、まさに自惚れた虚飾の王様ではないか?
自らを律し、本当の発行部数を公表し、業績悪化をネットのせいにせず、自己改革ができないのだとしたら……。
大手新聞社が失墜するのは必然なのかもしれない。