うちの猫のカールが逝った。
11歳だった。
2017年2月7日、午前3時40分。
最後はあまり苦しむことなく、静かに旅立った。
病気(ガンと複合要因)が深刻化して、約4か月あまり……頑張った。
年は越せないかもと思っていたが、年を越してからも今日まで生き抜いた。
人間だったら、ここまで保たなかったのではと思う。
うちの猫たちの中で、一番のやんちゃ坊主だった。
活発で、遊び好きで、食欲旺盛で、かなりの甘えん坊だった。家の中では、いつもカールの鳴き声がしていた。
静かになった。
もう、あの甘え声が聞こえることはなくなった。
もう、二度と、カールの声は聞こえないんだ。
ああ……
なんてこった……
いつか、この日が来ることはわかっていたし、これまでも猫たちを見送ってきた。
しかし、慣れることはない。
カールはうちから遠い、神奈川県の衣笠まで引き取りに行った子だった。そのときのことは、過去ブログに書いている。
→また新しい家族(猫)が加わった
あの日が、つい昨日のような気がする。
そのときお邪魔した「ノアどうぶつ病院」は、ホームページがなくなっているようだ。2012年までは口コミの書き込みがあったが、廃業してしまったのだろうか?
うちの猫たちの中で、一番年下だったのだから、本来なら最後まで生き残るはずの子だった。
猫は10歳を超えると高齢猫の仲間入りだが、それでももう数年は生きて欲しかった。
カールとほぼ同い年の猫が、あと3頭(グミ、ジジ、クロ)いるが、その子たちはまだまだ元気。3頭より年上は、テンテンの14歳、ラピ16歳だ。
とはいえ、猫は15歳を超えると超高齢なので、その子たちもあと数年……。
そう考えると、一緒に暮らせる年月は短い。
私たち夫婦には子供がいないので、猫たちは我が子同然。
猫たちは、ご飯をくれる遊び相手にくらいにしか思っていないだろう。
それでもいいんだ。
猫たちを家族と思っているのは、私たちの勝手なのだから。
カールは、この3週間あまり、ほとんど食べられず、水を飲むだけになっていた。
あんなに食欲旺盛だったのに、食べものを受けつけなくなっていた。
最後にガツガツ食べたのは、大好きなマグロの刺身だった。その時点で、もう最後は近いと思っていたから、好物のものをあげていた。
夜、寝るときは、布団で私と妻の間に入りこんで一緒に寝ていた。自分の死期が近いことを自覚していたのかどうかは知るよしもないが、いつにも増して甘えん坊だった。
昼間は、私も妻も会社に行っているから、カールは猫ベッドに寝たままになる。起き上がれなくなってからは、体温が下がらないように、ヒーターを入れて猫ベッドに寝かせていた。
私たちが留守の間、おとなしく寝ているのかと思いきや、帰宅するとベッドに寝ていなかったりする。おしっこは砂のある猫トイレでしたいらしく、ヨロヨロと猫ベッドから這い出していく。水飲み場は所定の場所があるのだが、そこにもヨロヨロと歩いて行く。
どこにそんな体力があるのかと思ってしまう。
人間が寝たきりの病人になったら、自力では動けないのとは大違い。
猫は、生命力が強い。
飼い猫になっても、その生命力の逞しさは残っている。
ここ数日は、今日が峠かも……という日々だった。
寝たきりのカールを置いて出勤するのが辛かった。
留守の間に逝ってしまうなんて、最悪の最後だからだ。
妻が先に帰宅するが、メールで、
「なんとか生きてた」
というメッセージが入ると、ホッとした。
その辛かった日々は終わった。
終わったが……終わって欲しくもなかった。
起き上がることができず、鳴くこともできず、目を開けることもできなくなっていても、生きていることには違いなかった。
痩せこけた体の腹部が、呼吸で収縮する様子を見て……
「まだ、生きてる。まだ、がんばってる」
なんども、そうやって確認した。
それも……終わり……
終わっちまった……
動かなくなったカールは、抜け殻になってしまった。
形はあるけれども、そこにカールはいない。
天国があるなんて思っちゃいないが、もし、魂の行く先があるのなら、先に旅立った先輩猫たちが迎えてくれるだろう。
その様子を想像する。
カール……
うちの猫になってくれてありがとう。
楽しい11年間だった。
おまえの思い出は宝物だ。
バイバイ。
バイバイ……
夢で会おう。
▼在りし日のカールの「あくび」