アメリカとアフガニスタンの戦争は、激しさこそ見えてこないが、いまだに続いている。
あえて「対タリバン」あるいは「対アルカイダ」とはいわない。始める前も、そして始まったあとも国対国の戦争ではないと、公式にはいわれているが、どこが違うのだ!? 対テロリストの戦争でもない。アメリカが攻撃しているのは、アフガニスタンという国であり、国土であり、国民なのだ。なぜ、そのことに目をつぶるのか!! ここまで詭弁をろうするのは、もはや傲慢でしかない。
「自由と正義の戦い」とアメリカは位置づけている。テロリストを根絶するのだと。「根絶」とはどういうことかといえば、抹殺以外のなにものでもない。関係者が千人いれば、千人殺すといっているのと同じだ。では1万人だったら、10万人だったら? これは虐殺とはいわないのか?
しかも、空爆で死んでいるのは兵士ばかりではない。兵士なら殺してもいいという理屈もどうかと思うが、罪のない市民も死んでいるのだ。
「自由と正義」のためなら、何人まで市民を殺していいのだろう?
ビンラディンを捕まえるために、あるいは殺すために、何人まで関係ない人を殺していいのだろう?
テロでアメリカ人五千人あまりの命を奪ったのだから、同じ数までは許されるのか?
そういう計算なのか?
報復といっている以上、同等の打撃を与えるものだろう。だとすれば、現段階の犠牲者の数は許容範囲だと考えているのかもしれない。
テロはたしかに許されない犯罪だ。
だが、殺人者だからといって、なぶり殺しにするのがアメリカのいう自由と正義なのか?
アメリカに亡命する犯罪者がいたとして、引き渡しを拒否するアメリカに対して、軍事行動を起こすとしたらどうだろう?
勝手に領空を侵犯し、爆撃されたらアメリカだって黙ってはいないはずだ。タリバンを擁護するつもりはないが、アメリカのやっていることは、まさにそれだろうと思う。
他国に土足で踏みこんでおいて、「公正な裁き」などというものが可能とは思えない。
ブッシュ大統領にしても、ビンラディンにしても、演説の最後には「神のご加護を」という。定型句だとわかっていても、神の加護を後ろ盾にして戦っているという印象は拭えない。
「彼らは愚かな選択をした」と、ブッシュ大統領はいった。
ではアメリカの選択は愚かではないのか? 戦争を始めることが愚かでないといえるだろうか? 戦争ほど愚かな行為が、ほかにあるとでもいうのか?
自由と正義は大事かもしれない。しかし、それは爆弾で死ぬことよりも尊いのか? 私は違うと思う。不自由でも貧しくても正義がなくても、生きることの方が重要なはずだ。自由と正義だけでは飢えは解消しないし、暑さ寒さもしのげない。
爆撃することで自由と正義が確立できるはずもない。
アメリカよ!! なにを血迷っているのだ。
そして、アメリカに無条件に追従する日本よ。我々の取るべき舵はこれでいいのか? 愚か者の仲間入りをするつもりなのか?
戦争は愚かな行為……それが過去の教訓ではなかったのか?
戦争の世紀……20世紀からなにも学んでいないとしか思えてならない。