「推敲するということ」

11月21日、22日と作家・大江健三郎氏が「ニュースステーション」に生出演して、インタビューが行われた。

その一部は「ニュースステーション」のサイトで公開されている。以下に。

http://www.tv-asahi.co.jp/n-station/index2.html

主たる話題は世界情勢のこととか、現代の日本のかかえる問題についてだった。

しかし、作家としての執筆エピソードの方が私の興味を引いた。

大江氏は「なんども書き直すことで、作品の完成度を高めていく」というようなことをいった。当たり前といえば当たり前なのだが、その書き直し方の違いが、作家としての技量になるのだろうと思う。

書き直しとは、いわゆる「推敲」作業のことだが、一度書いたものを見直して書き直すということは、自分を見つめ直すことでもある。

最初に書くときというのは、勢いであったり思いつきであったりと、わりと一方的に書いている場合が多い。イメージしたことを素直に書いているという意味では、ストレートな書き方だし内容だろう。

大江氏の夫人は「初稿が一番読みやすい。一度でいいから、最初の原稿を出版して欲しい」といったそうである。前述のような理由から、それはわからないでもない。

だが、書き直しは必要だと大江氏はいう。

私の所属している小説サークル「NOVEL AIR」でも、提出された作品に対して書き直しを指示することが珍しくない。最初に提出された原稿を、そのまま採用して本として出版するわけではない。

私を含めた会を運営する3人のメンバーで原稿を読み、細部にわたって問題点を指摘し、それを参考に書き直しをうながす。平均的に3〜4回の推敲をしてもらっている。

赤字の入った原稿を戻された書き手は、たいていの場合意欲的に書き直してくる。二稿目、三稿目と書き直しを重ねるほどに、作品としての完成度は上がっていくものだ。ひとりで書いていると、なかなか冷静的かつ客観的に自分の作品を見ることができないものだ。他人に読んでもらうと、自分では気がつかなかった問題点に、初めて気がつくということも多い。そこから学んで、よりよい方向に書き直してくる人とというのは、作家としての基本的な素質は持っているだろうと思う。

だが、中には「自分は書き直しはしない」と、まったく推敲をしない人もいる。一度書いた作品を書き直すことが嫌だというのだ。「書き直すくらいなら、新しい作品を書く」と、その人はいう。

しかし、新たに書いてきた別の作品を読むと、前作と共通した問題点や間違いを繰りかえしているのである。つまり、他人から指摘されたことからなにも学んでいないし、自分を高めようという努力を怠っているのである。これでは堂々巡りだ。

他人の意見には左右されず、我が道を行くということでは、ひとつの信念のあらわれかもしれない。しかし、それは内容がともなっていれば評価されるものの、進歩がなければただの自己満足に終わってしまう。よほどの天才でもない限り、この方法で高い評価を得ることは難しいだろう。

書き直し……推敲には終わりがない。

なん度も見直せば、その度に書き直してしまうのだ。かといって、延々と書き直していてもキリがない。どこかで「これで合格点」という自分なりのケリをつけなくてはいけない。

その合格点を出すポイントが、作家として通用するかどうかの分かれ目なのだと思う。

私的には、自己採点で90点以上を目指しているものの、なかなかこれはクリアできない目標だ(笑)。投稿の場合には、時間的な〆切もあり、合格点に達しないまま出してしまうこともある。そういうときは、得てしてよい結果にはつながらない。

書き直し作業というのは、なん度やってもやりすぎるということはない。

問題は、なん度も書き直す時間がないことである。こればかりはどうしようもない。限られた時間内で、可能な限りの書き直しをするように努力はしているつもりだ。

とはいうものの、それはそれでなかなか難しいことでもあるのだ(汗)。

諌山 裕

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