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【サッカー】悔しさは糧にはならない

オリンピックの男子サッカー3位決定戦は、力及ばず敗退した。
前エントリで書いたように、開始時間が早まったため、会社からの帰りの電車でスマホ視聴した。
帰宅したときに、最後の5分をテレビの大画面で見た。

前半を終わったときに、これは逆転できないなと思った。
A代表でも同様だが、強豪相手に2点差をひっくり返す力は、今の日本チームにはない。
アジアでは最強の日本だが、それは相手チームのプレッシャーが弱いからだ。アジアでは通用する戦い方が、日本より格上の相手にはあまり通じない。

グループリーグでメキシコに勝てたのは、ラッキーな一面もあった。
フランス戦は、相手がベストメンバーではなかったことが幸いした。
グループを全勝できたが、その戦い方は、走って走ってハイプレスをかけ続けるというものだった。ここまで走るチームは日本くらいだろう。体力の消耗が激しい戦い方だ。

トーナメントになると、その弊害が出てきた。
だんだんと走れなくなり、ニュージーランド戦で延長120分、スペイン戦も120分。スペイン戦ではハイプレスは空回りして、スペインの上手さの前にボールを奪える確率が低下した。体力を削られるだけになり、最後の最後に足が止まってしまった。

走れなくなると、もはや日本の戦い方は機能しなくなる。
銅メダルをかけたメキシコ戦は、満身創痍の状態。
先発メンバーがほぼ固定だったため、みんなが走れなくなっていた。
全試合フル出場の吉田も、中盤の要の遠藤も、攻撃を牽引してきた堂安もパフォーマンスが著しく低下していた。走れない、判断が遅れる、ミスが頻発する、連携が合わない、決定機は決められない。これでは勝てる要素がない。

対するメキシコは、グループリーグの時よりも動きが良かった。底力というか余力があったんだろうね。日本みたいに無駄に走るようなことはしてないから、消耗は少ないということだ。つまり、省エネなんだね。そこがやってるサッカーの違い、監督の差のように思う。

日本は目の前の試合に全力疾走だ。
その成果としてベスト4まで進めたわけだが、過密日程の中、全6試合を通した戦い方は考えられていなかったのではないか。というより、そこまで考える余裕がないんだと思う。

試合の実況で「まだ時間はある」と連呼されていた。
いやいや、そのセリフは死亡フラグだよ(^_^)b
負けてるときの定型句になっているが、「まだ時間はある」は勝つ可能性がないという暗示でもあるんだ。絶望的状況になったときの、祈りの言葉ともいえる。

電車内でスマホ視聴しながら、3点目を決められたとき。
「あ……、詰んだ」と思った。
3点差を跳ね返す力は、いまの日本チームにはない。
選手たちは頑張っているが、可能性は感じられず、悲壮感が漂っていた。

試合終了後。
号泣しているの久保の姿が、涙を誘った。スペイン戦後、「涙も出ない」といっていた彼が、こんなに号泣するとは……。

実況はいった。
「この悔しさを糧にして……」
そのセリフを聞くのは何度目だろう?
ロンドン大会の時も、リオ大会の時も聞いたような気がする。もっと前の大会でも。
W杯では、ドイツ大会のグループ敗退の時も、南ア大会のベスト16敗退の時も、期待値の高かったブラジル大会の時も、ロシア大会のベルギー戦の時も……。
そう、いつもたくさんの悔しさを味わってきた。
それが糧になったか?
なってないんだ。悔しさは悔しさでしかなく、何度味わっても糧になんてならない。
OAの吉田は、一番多く悔しさを味わっているが、また同じ悔しさを味わうことになった。その精神的なダメージは大きいのではないかと思う。心の傷にはなっても、糧にはならない。

糧になるのは勝利だけだ。
強豪チームが強いのは、多くの勝利を味わっているからだともいえる。
勝つことが自信をもたらし、勝つためになにをすればいいかの勝利の方程式を導き出す。
勝者のメンタリティは、そうやって形成される。

日本に足りないこと、必要なことはなにか?
スペイン戦を見たオシム元監督のインタビューが、金言だと思う。

<東京五輪>オシムが語った日本対スペインの論点「日本は簡単にボールを失い、それぞれがひとりでプレーした」 – サッカー日本代表 – Number Web – ナンバー

そして試合を視聴したオシムの口から発せられた言葉は、私の想像とはまったく異なるものだった。

攻撃におけるコレクティビティの欠如。オシムが最も嘆き、批判した論点は、恐らく日本人の誰もが持ち得ない視点からのものだった。日本とスペイン。両者の力関係を考慮すれば、森保一監督の戦術や戦略、少ないチャンスをモノにしようとする日本攻撃陣のアタックは、ごくごく自然なものと日本人には映る。

(中略)

「ああ、難しい試合だった。だが私が思うには、日本はボールを失い過ぎた。それにチームが疲れている印象も受けた。野心を抱かずにプレーをしていた。メディアにとってスペイン戦は晴れの舞台なのだろうが、日本が100%の力でプレーしているようには見えなかった。それぞれが自分のためにプレーし、ひとりでトライしようとした。誰もがボールを保持して走るばかりだった」

(中略)

「まあ聞け。君らは日本の選手たちを祝福できる。少なくとも彼らはプレーができることを証明して見せた。コンビネーションも決して悪いわけではなかった。いいものはいくつも見えた。

ただ、忘れてならないのは、サッカーは負けないことではないし、とりわけ簡単にボールを失うことではない。彼らは素晴らしいコンビネーションを試みたが、ボールを失うことがとても高くつくことは知っておくべきだ。最終的にそこが勝負を決めた。スペインは忍耐強くプレーしたが日本はそうではなかった。

(中略)

「スポーツに話を戻そう。0対0で引き分けるのと勝つのは同じではないし、常に満足のいく結果を得られるとは限らない。それでも試合に勝つ喜びを得るために戦いに臨む。もちろんあなた方も勝とうとして試合に臨んだが、何人かの選手は自分ひとりで勝とうとした。それではサッカーはうまくいかない。コレクティブな競技であるからだ。

スペインは常にコレクティブに戦っている。どのスポーツでも、どの試合でもだ。テニスのダブルスでも同じだ。ボクシングでも同じメンタリティで、どんな時も勝利を求める。そういうことこそ学ぶべきだ。常に勝利を求めるべきだが、ひとりで求めるべきではない。サッカーはひとりではプレーできない。どの球技もそうだ、ハンドボールもバレーボールもひとりではできない。誰もがプレーに参加し、勝つために全員で戦う。それこそが最も重要なことだ。

とはいえ彼らは以前に比べずっといいプレーが出来ることを示した。コンビネーションも良くなっている。素晴らしいといってもいい」

(中略)

繰り返すが忘れてはならないのは、サッカーはコレクティブな競技であることだ。すべてはそこから始まる。だからこそ個人主義者には注意する。

試合後、相馬を励ます吉田

遠くグラーツ(オーストリア)から、オシムさんの分析はいつも的確で核心を突いている。
「コレクティブ」という言葉が度々出てきたが、いまいちイメージしにくい。
字義は「集合的な、集団的な、共同の」という意味だが、サッカーに当てはめると「チームプレイ」あるいは「組織的な動き」ということだろうか。

日本は組織的なサッカーをする、という表現がされたりもするが、おそらくそれとは少し意味が違う。
団結力があり、全員がハードワークをする、組織的な守備をするという点については組織的ではあるが、ゴールを目指す過程においてのパスだったり選手の動きがバラバラなんだ。
ときどきうまく連携することがあり、得点に結びつくこともあるが、強い相手とぶつかると寸断されてしまって攻撃が完結しない。
コレクティブな状態が持続しないことを、オシムさんは指摘しているのだと思う。

スペイン戦での解説者が、「ボールを止める、蹴るの基本が徹底している」というようなことをいっていた。
それには同感だ。
スペインはほぼ常に3人の選手が三角形を作って、パスをスムーズにつなぐ。じつに基本的なことだが、基本がしっかりできているから、ボールを失うことが少ない。見ていて気持ちいいくらいパスがつながる。

日本は三角形のポジショニングが少なくて、サポートがいない場面が多い。パスの出しどころがなくて奪われてたり、無理なパスを通そうとしてカットされる。
ボールを扱うテクニックは上手いといわれる日本の選手だが、強度の強い相手と対峙するとトラップミスやパスミスを連発する。「止める、蹴る」の基本ができなくなってしまう。
この課題というか宿題は、一朝一夕では克服できない気がする。

選手インタビューの田中の発言は、オシムさんの指摘に通じるものだ。

日本男子メダル届かず…MF田中碧「サッカーを知らなすぎる」 : スポーツ報知

特に「遠い」と感じたのは試合中に、選手が意識しているポイントだという。日本は「デュエル」(球際、1対1で負けない)が比較的新しい言葉でことさらに求めあうが、すでにスペイン、メキシコは「デュエルだの戦うだのは彼らは通り過ぎている。チーム一体となってどうやって動いて、勝つかに変わってきている」(田中)と感じたという。

「個人個人でみれば別にやられるシーンというのはない。でも、2対2や3対3になるときに相手はパワーアップする。でも、自分たちは変わらない。コンビネーションという一言で終わるのか、文化なのかそれはわからないが、やっぱりサッカーを知らなすぎるというか。僕らが。彼らはサッカーを知っているけど、僕らは1対1をし続けている。そこが大きな差なのかな」

「デュエル」という言葉を日本に浸透させたのは、解任されたハリルホジッチ元監督だ。
ハリル元監督は、当たり前のことをいってるだけだったが、日本のメディアや当時の選手たちは、反発する人が少なくなかった。そういう風潮があったこと自体が、日本は世界から遅れていた。

その後、デュエルが重要な要素として取り上げられるようになったが、目覚めるのが遅すぎた。
周回遅れになっている日本サッカーは、このままでは「悔しさを糧に」と言い続けることになる。

現在は解説者をしている城氏が「この流れで金メダルを取れなかったら永遠に取れない」というようなことをいっていたが、結果として銅メダルも取れなかった。
若い久保は次のパリ大会にも出られるが、レアルの下部組織にいる中井卓大を含めてパリ大会世代は、ベスト4の壁を越えられるだろうか?

その鍵は、コレクティブなサッカーを習得できるかどうかだ。
それを実現できる監督は誰なのか?
すでに次の五輪監督候補の名前が挙がっているが、日本人監督では難しいのではと思う。
なぜなら、国際経験の乏しい人ばかりだからだ。

W杯のアジア最終予選は、それほど苦労することなくクリアできるだろう。アジアの中では、現状の戦い方でも通用する。
しかし、W杯本番になれば、また困難に直面する。
日本人監督で挑むことには賛成だが、それは選手だけでなく監督も国際経験を積む必要があると思うからだ。
とはいえ、森保監督では限界は見えている。
ベスト16の壁を越えるのは、ミッション・インポッシブルに近いと思うよ。

そして、またいわれる。
「この悔しさを糧にして」と。

諌山 裕

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