「五輪のためには犠牲が必要」と言い放った、IOCのバッハ会長。
それは日本国民が犠牲を払えといっているのだろうか?
五輪のために日本は、東京は犠牲を払うべきなのか IOCバッハ会長の発言に反発相次ぐ 「今までで一番悪質」:中日スポーツ・東京中日スポーツ
“時の人”として急浮上だ。東京五輪の開催を二カ月後に控え、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が22日の一部報道で、国際ホッケー連盟のオンライン総会で「五輪の夢を実現するために誰もがいくらかの犠牲を払わないといけない」と発言。予定通りの開催を強調したことにネット上では憤りの声があふれ、「バッハ会長」がトレンドワードに入った。
そうか、オリンピックは誰かが犠牲を払うことで成立するんだね。オリンピック憲章の裏に書いてあるんだろう。
その犠牲とはなにか?
究極的には「命」ということになるのかな?
過去記事で、バッハ会長は現代のマッカーサーだと例えたが、どうやらそれ以上らしい。
日本の主権を無視するような、強権的、威圧的な姿勢が見て取れる。
その背景に、人種差別的な感覚があるように思える。
彼らからすれば、極東の国であり、アジアのサルという感覚なのではないか?
中国人と日本人の区別はつかないだろうし、新型コロナによる死者数が欧米に比べて少ないのは事実だから、五輪期間中に1000人くらい死んでもたいした問題ではない……と思ってるのかもしれない。
日本の状況を「さざ波」といった日本政府関係者もいた。欧米の感覚は、たぶんそれと同じ。
それに対して、日本政府も組織委員会も東京都も、誰も文句を言えない。
金の問題が大きいといわれているが、弱みを握られて何も言えないのは情けない。
これがバッハ会長の母国での開催で、同様の状況になっていたら、まったく違う対応をしたはず。
ドイツの世論が五輪開催に反対となったら、無視はできないのではないか。
日本の世論なんか知ったことか、といえるのは、日本を蔑んでいるからではないか。
バッハ会長は、オリンピックの独裁者だね。
まるで、ヒットラーのようだ。
ということで、コラ画像を作った。
皆が讃えるのだ。
「Heil Bach!」と。
ヒットラーの演説の一節に以下のようなのがあった。
- 現在の危機的状況においても、我々は不変の意志と犠牲心によって、この困難と危機を乗り切るであろう。
- 私は全ドイツ人に義務を全うするよう期待する。また必要ならいかなる犠牲も払うよう期待する
「五輪の夢を実現するために誰もがいくらかの犠牲を払わないといけない」
バッハ会長の発言と、通じるものがある。
強行開催されるとしたら、日本人は犠牲を払わないといけない。
バッハ会長が犠牲を求めているんだ。
「オリンピックのために肺を捧げよ!」
屍の上に、金メダルが輝くであろう!