環境活動家のグレタさんにツッコミを入れた記者に対して、返答を拒んだらしい。
ま、すべての質問に答える必要はないものの、あしらい方が下手だなとは思った。彼女を崇拝する人たちもいるので、一種のアイドルみたいになっている。
グレタさんに密着取材したドキュメンタリー(NHK BS)がある、
この番組の中で、グレタさんがアスペルガー症候群であることが強調されている。特定のことに強いこだわりを持つ精神構造だということ。それが彼女の気候変動問題に対する行動へと駆り立てているという。
番組中で、人々が気候変動に無関心であることについて、
「みんながアスペルガーだったらいいのに」
というような発言をする。
みんながアスペルガーであれば、自分と同じように気候変動に強い関心を持つはずだ、という発想なのだろう。
しかし、これは間違いで、アスペルガーが強い関心を持つ対象は個々に違っている。ある人は電車に興味を持ち、ある人は昆虫に興味を持ち、ある人は数字(数学)に興味を持つ。
彼女は、企業家や政治家の経済優先の考えかたを批判するが、金儲けに執着する人は金に強い関心を持つアスペルガーともいえるんだ。つまりは、気候問題に執着する彼女と、金儲けに執着する人々とは、対象が違うだけで思考パターンは大同小異なんだ。
そのことを理解できないのが、彼女の問題点だともいえる。
気候変動問題が第1の関心事であり、なによりも優先すべき問題だと考える彼女にとって、脱炭素で石油・石炭・天然ガスの使用をゼロにするのが正義だ。そのために失業者や凍死者が出ても、しかたのない犠牲だと考えているのだろう。なにごとにも犠牲はつきものだと。
温暖化で苦しむ人たちや死ぬ人たちがいるから、脱炭素にすべきだと主張する。
脱炭素に進んでも犠牲になる人たちはいる。
どうせ犠牲者は出るのだから、脱炭素の方がいいじゃないか。
そういうロジックなのかもしれない。
どっちに進んでも犠牲は出る。
どっちの犠牲を許容するか?……という話になる。
環境活動家は、脱炭素での犠牲をやむを得ないとしているわけだ。
前述のドキュメンタリーの中で、グレタさんを崇拝する若者たちが出てくる。集会で演説する彼女を称える若者たちを見ていると、まるでアイドルのコンサートのようだ。
いろんな意味で、グレタさんはアイドルでありアイコンになっている。
もう少女ではない彼女だが、これほど有名人になってしまうと、もはや普通に会社員として仕事をすることなどできないだろう。今後も、活動家として生計を立てていくしかないと思われる。つまり、プロの環境活動家だ。
茨の道かもしれないね。