気になったニュース。
「死者の尊厳」について。
宗川名誉教授は「展示されている奇抜なポーズをとった標本の場合は、死後硬直前に薬品づけにしなくてはならず、死者の尊厳を冒涜している。当初は学術的な要素が強かったが、次第に商業性が強くなり、生命倫理的に非常に問題だ」と指摘している。
ああ、あの人体標本のことか。
かなり前にテレビで見たと思うが、日本で展示されているとは知らなかった。
まぁ、賛否はあるだろう。
ただ、あういうのを作ろう、作った、というのはユニーク。趣味がいいとは思わないが、面白いことは事実だろう。面白すぎるゆえに、物議をかもしているともいえる。
この記事で気になるのは……
死者の尊厳とはなんなのか?
ということ。
肉体は魂の入れ物に過ぎない。
いや、魂が「ある」という前提の話だが。
宗教観や死生観にもよるが、「死」とはなんなのか?
という、問いかけだ。
死者を火葬で葬ることが、尊厳を尊重することなのか?
焼いて、灰にして、原型をとどめず、骨だけを残して、この世から消し去る……というふうにも解釈できるではないか。
それが尊厳なのか?
あるいは土葬にして、細菌に分解させて(つまり腐敗させて)土に返すのが尊厳を保つことなのか?
化学処理をほどこし、原型をとどめた形で死体を残すことは、かつてエジプトのミイラを作った人たちがやろうとしたことの現代版だろう。
原型を残さないのが「尊厳を保つこと」で、原型を残すことが「尊厳を傷つけること」、なのだろうか?
そもそも「死者の尊厳」とは、なんなのか?
訴えた理由の、「会場に死体が多数あるため、平穏な生活を営む権利を侵害され、多大な精神的苦痛を受けた」というのは、こういう特殊なケースだけに限らない。
大きな災害が発生し、死者が多数になった場合、最寄りの体育館などが遺体安置所になったりする。
そうなると、周辺に住む人たちは「精神的苦痛」を受けることになる。この訴えが通るのなら、災害発生時に遺体をどこに置くか、周辺住民の了解を得なくてはいけなくなってしまうような気がする。
「死」とはなにかという問題。
まぁ、私もあと何十年は生きないと思うので、身近な問題なんだよね(^_^)。