Heading
科学技術ジャーナリストの松浦晋也さんの記事というか、問題提起。
10万年後までを見据えた原発問題の考察。
考え続けている。原子力発電は本当に危険か?:日経ビジネスオンライン
「自分は、社会は、日本は、なにかを見落として、この7年間空回りしているのではないか」――と、私は考え続けている。
(中略)
例えば、「発電の結果発生する核廃棄物は10万年間、環境中に漏れ出さないように保管する必要がある」という事実がある。
「10万年も! なんという危険性だ」と思う方がほとんどだろう。が、10万年という時間にどのような意味があるかをきちんと理解している人は少ないようだ。
(中略)
発電のために火力を使えば、二酸化炭素を放出することになる。いっぽう原子力発電は二酸化炭素は出ないが、後に核廃棄物が残る。
少しぐらい大気中に放出しても、現状では大した危険があるわけではない。ただし、回収が不可能でこのまま増えると環境激変が起きる可能性を否定できない二酸化炭素。大変危険だが人間が管理できる量で、かつ10万年経てば絶対確実に消えることが分かっている核廃棄物。どちらが人類の長期的な生存と繁栄にとって、より危険なのだろうか。
はっきり書こう。今の私には分からない。
10万年後まで考える人は少ないので、興味深い記事。
前々から、私は書いていることだが、
という選択を、松浦氏も書いている。
どっちもやっかいなのだが、二者択一というよりは、どっちをより受容するかの問題。
昨日、訃報が報じられたホーキング博士の過去の発言として、地球温暖化問題について、「このまま放置すると、地球は金星のようになってしまう」と答えた映像を流していた。
博士は宇宙物理学では天才だったが、専門分野以外ではわりと凡才というか、普通の人とあまり変わらなかった。
例えとして、金星を持ち出したのだろうが、文明由来の二酸化炭素を現状レベルで排出し続けたとしても、金星の状態(約90気圧、平均温度は摂氏470度)になることはありえない。そもそも惑星の形成過程が違うし、太陽からの距離も違う。地球の海が完全に蒸発しない限り、金星化することは無理なんだ。
松浦氏も、二酸化炭素が増え続けることに懸念を示している。
私の過去記事で、何度も書いていることだが、考古学的過去には、地球は現在よりもはるかに温暖化していた時期があり、二酸化炭素濃度が高かった時代がある。
現代を生きる私たちにとっては、ここ100年くらいの環境が「地球の標準」だと設定している。
だが、地球に生命が誕生してからの40億年を遡ってみれば、標準はどの時代を切り取るかで変わる。けっして、今現在の地球が標準ではないんだ。
数万年単位でみると、最後の氷期(最終氷期)は約1万年前に終わり、現在は比較的温暖な間氷期にある。この間氷期の時代の中でも、小氷期といわれる寒冷になる時期がある。14世紀半ば〜19世紀半ばが小氷期だったとされ、20世紀以降は二酸化炭素の量に関係なく、温暖化するサイクルに入っていたとされる。
中世の温暖期といわれる、10世紀〜14世紀にかけてヨーロッパが温暖だった時期では、気温は現在に匹敵するくらい高くなっていた。ただし、その当時には気温を正確に計り記録する器具やシステムはなく、考古学的記録などに基づく推定ではある。
この中世の温暖期のあと、小氷期に突入し、テムズ川が凍結したりした。
つまり、現在が地球の標準とはいえないということ。元に戻すといっても、どこまで戻すのか。テムズ川が凍結するまで戻すのか、現在よりも温暖化していた縄文時代まで戻すのか。
じつのところ、地球は周期的に暖かくなったり冷たくなったりしている。人間は自分の寿命のスケールでしか実感できないから、ここ数十年のことでドタバタと大騒ぎしてしまう。数万年のスケールで見れば、微々たる誤差の範囲でしかない。
今後も数世紀単位で、温暖期と小氷期を繰り返すだろうし、10万年単位では氷河期と間氷期を繰り返す。それが地球の歴史だ。
原発から出る放射性廃棄物が、10万年保管しないといけないというと、とてつもなく大変なように感じてしまうが、松浦氏が指摘している理由とは違う理由で、心配する必要はない。
10万年前というと、ネアンデルタール人とクロマニヨン人が混在していた時代だ。
10万年後の世界を想像できるだろうか?
できないよね。
間違いなくいえることは、現在のような人間じゃなくなってるだろうし、文明も進歩しているはずだ。人類が存続していると仮定するなら……の話。
しかし、人類が滅んでいる可能性も高い。ネアンデルタール人が絶滅したようにね。
滅んでいるかもしれない10万年後のことなんか、心配してもしょうがない……ってこと(笑)。
そう遠くない未来に、アメリカのイエローストーンは大爆発(破局噴火)すると予想されている。
未来とは、来年かもしれないし1万年以内かもしれない。過去の噴火頻度から、噴火することは間違いなく、地下には巨大なマグマ溜まりの存在が確認されている。
この破局噴火が起きれば、北アメリカは壊滅的になり、大量の塵によって地球規模の「火山の冬」が起こり、小氷期に突入すると予測する科学者もいる。現在の文明は大打撃を受け、通信や交通は困難になり、飢饉やエネルギー不足で、国家は機能不全となり、多くの死者も出るだろう。
図らずも破局噴火のお陰で、地球温暖化は一気に小氷期へと逆戻りだ。噴火による直接的な死者は少なくても、その後の世界経済の混乱や、食糧不足、気温低下、戦争の勃発などにより、数千万〜数億人の犠牲が出るかもしれない。
最悪の場合、資源やエネルギーを巡る世界大戦になれば、核戦争は不可避。人類は滅びの道を進むことになる。かくして、放射性廃棄物のことを気にする人間はいなくなる。
福島の原発事故が起きて、被害に遭われた人は大変な思いをしていることは理解している。原発にリスクがあることは、周知されていなかったとしても、ある程度のリスクは想定されていた。ただ、まさか本当に事故が起きるとは、誰も考えていなかった。それはリスクとしての確率の数字だったのだ。
リスクの確率からいえば、あなたが今後、原発事故に遭う確率よりも、交通事故に遭う確率の方が高い。危険度としては、車の方が危ないということだ。
では、交通事故に遭わないために、家に引きこもるか?
交通事故ゼロを達成するために、車を禁止するか? 車のない社会を目指すか?
現実に取られている方法は、「安全運転をしましょう」というかけ声であり、違反の取り締まりである。元凶の車をなくすことはしないのだ。つまり、多少の死者が出ることはしょうがない……ということでもある。そのことに目をつぶって、車が走ることを許容している。
原発問題は、それを必要悪として認めるかどうかだと思う。
リスクはある、放射性廃棄物の問題もある、でも、エネルギー源として原発が必要かどうか。
原発がすべて停止していた期間。その他の発電方法で、なんとかやりくりできていた。電気代がいくぶん高くなりはしたが、原発なしでも対応できることは証明済みだ。
選択肢は、
原発反対を唱える人たちがずるいのは、電気代が高くなることを明言しないことだ。
「電気代が倍になったとしても、原発はNO!」
とは、いわないのだ。
原発問題の本質は、危険性とか10万年後のことではなく、業界、政権、地域の利害で動いていることだ。純粋に科学的知見から論じられているわけではない。損得勘定で、どっちが得か。原発があると得だ……という人が少なからずいるから、原発は作られ、再稼働されつつある。
結論として、
10万年後のことなんて気にするな。
……ってことだね。