都会は、猫にとって住みにくい環境になってきたようだ。
「最近、野良猫をあまりみかけないね」と、ある友人がいった。
うちの近所でも、以前ほど野良猫は見かけなくなったが、いないわけではない。
その第一の条件は「食べ物」があることだ。
環境問題のこともあって、ゴミの分別が厳しくなり、むやみにゴミを出す人が少なくなった。そのことは街の環境美化にはいいことなのだが、残飯をあさる猫たちには食料源が少なくなったことを意味する。
野良猫たちは食料をどこから調達するかといえば、野良猫の世話をするボランティアの人たちが、重要な供給源になっているのだ。
うちの近所にも、そういう世話好きの人がいて、餌をくれる場所に野良猫たちが集まってくる。
そんな野良猫に関する記事。
憂楽帳:猫のいない街 – 毎日jp(毎日新聞)
憂楽帳:猫のいない街
先日、仕事のあと会社近くで同僚と軽く食事をし、終電の時刻も過ぎていたので30分あまりかけて歩いて帰宅したときのこと。途中、10坪にも満たない小さな公園で猫が2匹、じゃれ合っているのが見えた。民家はほとんどない地域だが、近くに飼い主か猫好きの人が住んでいるのだろう。
最近、雑誌などの街歩きの特集で、「路地に猫の姿が多い」ことを魅力の一つに挙げるケースが増えているようだ。一方、鳴き声がうるさいとか悪臭をもたらすなどの理由で猫を嫌う人も少なくない。しかし個人的には、大声で話しながら道を歩く若者や夜中に騒ぐ酔っ払いと違い、猫のすることは大目に見てやりたいと思う。
地域によっては、家ごとに犬や猫よけのペットボトルが置いてあって、猫にはすみにくいだろうなあと感じる街もある。住民の側にも言い分はあるのだろうが、歩いていて何とも寂しい。
大げさに言えば、猫のいない街は、他者にどこまで寛容になれるのか、私たち人間に無言で問いかけているような気がする。【関岡潮】
短い記事なので、全文を引用した。
記事にもあるように、野良猫に寛容になれない街は、人に対しても寛容になれない街だろうと思う。動物虐待事件が起きるような街では、必ずといっていいほど凶悪な事件も起きている。
野良猫は自由だ……といった比喩もされるが、現在の野良猫たちの環境は、美化するほど自由ともいえない。
野良猫の平均的な寿命は、3.5年といわれている。
食料が少なく栄養失調の猫が多く、猫の不治の病である猫白血病や猫エイズなどの病気も蔓延しているし、交通事故も多い。
適切な環境の飼い猫であれば、10~12年は生きられるが、野良猫たちは短命なのだ。それが「自由」の引き替えである。
また、猫よけペットボトルをいまだに置いている人がいることにも驚く。
まったく意味がないものであり、そこに住む人の無知とバカさ加減を露呈しているだけだ。
うちの最寄り駅の駅前通りでは、猫をキャラクターとして、イベントをやったりしている。だが、野良猫が住みやすい街かというと、そうともいえないのが現状だろう。