「茫漠たる視界」

メガネが割れた。

うっかり落としてしまって、ガチャンと鈍い音がした。拾ってみれば、レンズにヒビが入っていた。

出かけようと支度をしていた矢先のことだった。使っていたメガネは、もうずいぶん前に作ったもので、フレームにもガタが来ていた。

私は極度の近眼で乱視だ。裸眼ではまともにものが見えない。メガネがないと、まっすぐ歩くための平衡感覚まで狂う。日常生活にも支障をきたしてしまうのだ。

急遽、メガネを新調する必要が出てきた。

妻と一緒に外出する予定だったのだが、まっさきに眼鏡屋へと向かうこととなった。

メガネ無しの状態で道を歩き、電車に乗り、人通りの多い街へとくりだす。

しかし、私には周囲の光景がはっきりとは識別できず、茫漠とした像の重なりにしか見えない。

これは視力の良い人にはわからない感覚だろうと思う。擬似的にどういう状態なのかを、画像で再現したものが以下である。

▲通常の視力の場合のイメージ。

▲私が見ている光景のイメージ。

人は漠然としたシルエットとなり、しかも乱視もあるので像が重なって見えている。まるで幽霊(ゴースト)を見ているようなものだ。1メートル以内に近づけば、それなりに像の境界線が見えるものの、それ以上離れると周囲の背景との境界は曖昧になり、溶けこんでしまう。

まったく見えないよりはましだが、とらえどころのない世界は、夢の中の世界と同等である。

眼鏡屋では、まずフレームを探す。最近の流行は小さく細長いフレームが主流だ。私はレンズの大きな視野の広くなるメガネが実用的で好きなのだが、そのタイプのフレームは端っこの方にわずかしかなかった。

幅の細いフレームばかりが店頭に並んでいた。なんだかカマキリの目みたい、とは妻の感想。私も同感だ(笑)。細いメガネは人相がきつく見える印象がある。あまり予算をかける余裕もないので、レンズとセットになっている安いものの中から、比較的レンズの大きなものを選んだ。

視力検査を受けると、右目よりも左目の方が乱視が進んでいることが判明した。右目の乱視が2に対して、左目が5という比率だ。

目にも利き手の同じように、利き目あるが、私の利き目は左なのだ。見るときに左目から見ることが多い。映画を見るときにも、スクリーンに対して真ん中よりも右側に座る方が見やすいのだ。多用する左目の視力が落ちるのは当然の帰結かもしれない。

検査が終わって、レンズの種類を選択し、メガネの注文が終わった。仕上がりは8日の金曜日ということで、それまではメガネ無しの生活を強いられる。とりあえず、家にいるときにはヒビの入ったメガネで代用できるが、外出するときにはちょっと困った問題である。

人と会うときはさらに困ったことになる。相手の顔を識別できないし、表情も読みとれないからだ。

メガネは体の一部になっているので、突然視力を奪われてしまったようなものだ。全盲の人に較べれば、見えること自体幸せであるが、茫漠とした世界はあまりに頼りない。

また、私のような極度の近眼は、網膜剥離も起こしやすいので、注意が必要でもある。目の中に糸くずのような影が見えるようになったら、危険信号だ。網膜剥離を起こすと、視力は失われてしまうからだ。

とにもかくにも、早く新しいメガネが欲しい。ちゃんと見える世界を取り戻したいね――(汗)

諌山 裕

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