サッカーの話題のときは、毎度のように書いているが、日本のスポーツ紙やサッカー評論家で、まともな論評をしている人は少ない。すぐに「監督解任の危機」とか、スキャンダルな報道をしたがる。
厳しい批評とバッシングを混同しているのか、欠点や揚げ足取りばかりに熱心だ。そんなんじゃ、いつまでたっても日本のサッカー文化は成長しない。
なにが悪かったのか? なにがよかったのか?
それをきちんと分析しないと、正しい道には進めない。
そんな中で、なかなか秀逸な分析記事があった。「スペインの知将」ということで、なるほどと頷ける内容になっている。
スペインの知将が語るイラク戦。「日本が苦戦した理由を3つ教えよう」|サッカー代表 |集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva
「イラク戦の日本のマイナス点は3つある。ラインを破るようなパスが乏しかったこと。守備陣が空中戦に苦しんでいたこと。そして、サイドで幅を作るような攻撃ができなかったことだ」
(中略)
前半25分の得点は、原口が帰陣して中央でボールを奪い、それを清武弘嗣が持ち込み、右サイドの本田にパス。さらに本田の外を回り込んだ清武がパスを受け、ニアポストに入った原口のヒールで押し込んだ。
「一連の動きで目を見張ったのが、岡崎慎司だった。清武から本田へパスが出る直前、CBを2人も引き連れ、逆サイドへ流れている。岡崎はとても頭のいい選手。後半の立ち上がりにも、清武のパスを右前のスペースに走って呼び込んでいるが、そのタイミングは喝采に値する」
(中略)
そしてエチャリは試合を総括した。それは「猫も杓子も反ハリル」のような風潮に釘を刺すものだった。
「DF面は以前よりも問題が解消されていた。まだチグハグなところはあるが、監督のトレーニング練度が伝わってくる。攻撃は鈍かったが、山口投入でポジション的バランスがよくなった。サイドで展開が作られ、多くのことが改善された。なによりも勝利という結果は、チームとして次につながる。強烈な批判が巻き起こっているらしいが、ロシアW杯に向け、悲観するべきではない」
続いて、オーストラリア戦について。
「満点に近い」。スペインサッカーの重鎮が豪州戦の日本を絶賛するわけ|サッカー代表 |集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva
「日本はいいゲームをした。前半は戦術コンセプトで完全に試合を支配し、満点に近い。ラインをコンパクトに保ち、距離感がよく、相互関係を作っていた。そして攻撃のスピードと深さも文句なしだった」
ミケル・エチャリは、日本が敵地に乗り込んだオーストラリア戦を称揚(しょうよう)している。
(中略)
前半5分の先制点は、戦術の結晶だった。原口が自陣内でパスカットに成功し、長谷部に渡した後、長谷部は前線の本田に縦パスを素早く打ち込み、本田はそれをダイレクトで原口に流し、持ち込んだ原口は冷静に逆サイドに流し込んだ。
「『教科書に載っているようなカウンター』に成功している。オーストラリアの右サイドバックはパスを受けるために上がっており、原口は完全にフリーだった。日本の戦術的プレッシングが機能し、守から攻のトランジションも抜群。刻々と起きる変化によって生み出されるピッチの混乱を、秩序正しく使うことができた。数少ないタッチから目も眩むスピードでゴールを決め、監督学校のテキストにそのまま使えるだろう。
(中略)
「後半、日本のペースは落ちたが、確実にカウンターを仕掛けた。空中戦の個人の弱さは一朝一夕に解決できないが、この試合では決定的に崩されていない。なにより、ディフェンス全体の安定感が増した。槙野という選手には不安定さを感じたが……。チームとしてトレーニングによる上積みを感じる」
オーストラリア戦を終えてのエチャリの総括である。
うんうんと頷きながら読んだ(^_^)。
私が書いたことに通じるものがあった。
国内のサッカー記者・サッカー評論家から、こういう分析がほとんど出てこないのが不思議。
君たちは、なにを見ているんだ?……と、言いたくなってしまう。
結果が出てこその代表チームではあるが、引き分けになったからといってボロクソに言うだけでは、ファンの愚痴と変わらない。
記者や評論家はプロだろう?
一般のファンにはない特権がある。選手にインタビューできたり、観戦に絶好のポジションを確保できたり、一般人が入れないところにも入れたりする。ファンには得られない情報を得られる立場にありながら、的確な分析ができないというのは、プロとはいえないね。
エチャリ氏はテレビ観戦だと思うが、視野が限定されたテレビ観戦でもこれだけのことが見えている。生で観戦できるはずの日本の記者たちの目は、節穴か(^_^)?
日本チームの不甲斐なさを煽り立てるよりも、自分たちの分析眼のなさを嘆いた方がいい。レベルの低い記事が恥ずかしげもなく露出されていることが、日本のサッカー文化のレベルを下げることになっている。
先日、ハリルホジッチ監督はGKだけの合宿をしたが、そのときの発言で「現代のGKは190センチ以上」という発言が物議を醸した。
……が、その発言は部分を切り取ったものであることが、複数を記事を見るとわかる。
以下、その例。
ハリル監督、GK合宿で無茶ぶり「現代は190センチ以上ないと」 : スポーツ報知
「現代のGKは190センチ以上ないと、いいGKとは言えない」とハリル節がさく裂し、選手は戸惑いを隠せなかった。
ハリル監督「GKは190センチ以上」ノイアー理想 – 日本代表 : 日刊スポーツ
「これからは世界基準でやっていく。GKは190センチが基準。残念ながら身長がなければ、ハイレベルで戦うのは難しい。180センチ台でいい選手であっても(強豪国に)対抗するのはかなり難しい。現代フットボールは190センチないと、いいGKとは言えない」
ハリル監督、代表GKは190センチ以上が基準 – 日本代表 : 日刊スポーツ
「みなさんもオーストラリア戦を見たと思いますが、CKの時に190センチの選手が6人近くも飛び込んでくる。(GKは)それをブロックしないといけないことを、知っておかないといけない。2回のCKで1点を取るのがオーストラリア。我々は20~30回CKを蹴っても、得点が取れない」などと、視察に訪れたJリーグ下部組織の育成コーチらに持論を展開した。
代表のGKは身長190センチ以上が基準になると明かした上で、報道陣には「育成で(GKを)チョイスする時、身長の大きくなりそうな選手を選ぶことが大事」と力説した。
ハリル監督、ないものねだり…代表候補GKに“背”望む:イザ!
「現代フットボールでは1メートル90以上ないと、いいGKとはいえない。クラブでも強豪国でも、そういう統計になっています。1メートル80以上でもハイレベルになれるかもしれませんが、とても困難なことです」
記事によって、表現が異なる。前後の発言から書いている記事と、「現代のGKは190センチ以上ないと、いいGKとは言えない」という部分しか書いていない記事とでは、印象がずいぶん変わる。
通訳を介しているから、微妙なニュアンスは欠落してしまうが、なにを言ったかはきちんとフォローして欲しいものだ。
「選手は戸惑いを隠せなかった」などという表現があったりするが、それは記者の主観であってほんとうはどう思っていたのが、選手それぞれに確認を取るべき。それが記者の仕事じゃないのか? 想像で書いていいのなら、現場で取材する意味がない。
「ハリル監督、ないものねだり」という見出しは、揚げ足取りの悪意がにじみ出ている。監督をバッシングすることが、記者の仕事だといわんばかりだ。
情けない。あまりのレベル低さに、呆れる。
これではサッカー後進国から抜け出せそうにない。
前途は多難だ。