小山田圭吾氏の過去の虐待問題が、世界に配信されて、国辱になりつつあるようだ。
この問題は、文春砲ですっぱ抜かれたわけではなく、過去のインタビューにおいて自分で語ったというのがミソ。
インタビュー時に後悔していて、罪の意識があったなら、自分からは言えない恥ずべきことだよね。
東京五輪の放映権持つNBCも。小山田圭吾の虐待告白を米主要メディアが次々に報じる(安部かすみ) – 個人 – Yahoo!ニュース
小山田圭吾氏が過去に行ったいじめ問題、虐待告白について、アメリカの主要メディアも次々に報じた。
(中略)
90年代が今とは違う異質な時代だったからと言っても、これだけは断言できる。それはどのような時代でも、善悪の判断はつく(普通の感覚を持っている人間であれば)ということだ。90年代であろうと、あのような虐待の記憶は普通であれば話せなかったし、聞いても書けない内容だった。
この記事に、ほぼ同感。
イジメというより犯罪だから、本来は逮捕されて起訴されてもいい事案。
裁判で有罪となり服役したのなら、罪は償ったという評価もできる。
しかし、そうではなく、当事者に謝罪や償いをしているわけでもないようなので、バレなければ公になることもなかった。
この問題が浮上したとき……
「小山田圭吾って、誰?」
というのが、私の率直な感想。
彼が五輪の作曲家として選ばれたのは、誰かが推薦したわけだよね?
作曲家を公募していたのではないのだから。
その推薦したのは誰なんだ?
推薦者は、小山田圭吾氏の過去のことを知っていて推薦したのかどうか?
推薦者が表に出てこないから、経緯が不明なまま。
小山田圭吾氏を選んだ組織委員会に問題があるわけで、小山田氏だけを責めるのではなく、「推薦者は出てこい!」というのが筋じゃないかな?
エンブレムの盗作疑惑やブタ演出問題もそうだったが、人選が不透明だよね。
コネなのか業界絡みなのかはともかく、誰かが推薦したから候補として名前が挙がり、内々に決定しているのだと思う。
誰が推薦し、最終決定権は誰だったのか?
その過程で、過去の問題は把握していたのかどうか。
知っていて、問題ないと判断したのかどうか。
そのへんを追求すべきじゃないかな?
▼小山田圭吾氏のTwitterに出した謝罪文(コピー画像はこちら)
この文面を見て、あの人に似ていると思った。
眞子さまの婚約者とされる小室圭氏だ。
文章としては謝罪をしているが、形式的でまるで他人事のように弁解を綴り、反省はしているが仕事を降りる気はない意思だけは明言している。
それが文末の一節によく出ている。
一人の人間として、また、音楽家としてどう在るべきか、自分は世の中や周囲の人々に対して、どういったかたちで貢献していくことができるのか、常に自問自答し、より最善の判断をしていけるよう、一層の努力をして参りたいと思います。
日本語の文章は、最後にもっとも重要なことを書く場合が多いので、この部分が氏の一番言いたいことになる。
氏は自分から降りるつもりはなく、五輪という機会を最大限利用したいと、決意表明しているのだろう。
なかなかのプロ根性だ。
また、文章だけで主張を展開するというのも、小室圭氏と同じ。
奇しくも、「小山田圭吾」と「小室圭」で、「小」と「圭」つながり。偶然の一致ではあるが、似たもの同士なのかもしれない(笑)。
ともあれ、世界中に恥をさらしてしまったわけで、個人の恥というだけでなく、日本の恥にもなってしまう。
普通の人間だと、メンタルが病んでしまうレベル。
小山田圭吾氏は、かなり強固なメンタルの持ち主なのか、もしくは恐ろしく鈍感なのだと思う。
繰り返すが、「推薦者は誰なのか?」
そこがこの問題の根源ではないだろうか?