心が和む、ちょっといい話。
殺伐としたニュースやスキャンダルばかりが注目されるため、世の中にはネガティブな空気ばかりが漂っているかのように錯覚してしまう。
しかし、ささやかな善意は意外と身近にあったりする。
電車のいすに放置されたビールの空き缶…高校生が拾ってみたら人生が変わった話|高校生新聞オンライン|高校生活と進路選択を応援するお役立ちメディア
ラッキー、と思いながら座ろうとしたとき、他の人たちが誰も座ろうとしなかった理由がわかりました。その席には、ビールの空き缶が放置されていたのです。
私はどうしても座りたかったので、缶を拾い、ゴミ箱を探すため電車から出ました。しかし近くには、ゴミ箱も、ゴミ箱付きの自販機もありませんでした。
(中略)
すると隣の席の男の人が、「女子高生がビールの缶を持っていると勘違いされてしまうから、捨てておいで。席は自分が見ているから」と声をかけてくれました。私の一連の動きを見ていたようです。私はその人にお礼を言って、空き缶を捨てに行きました。
電車に戻ると、男の人は自分の荷物を私の席に置いて、取ってくれていました。感謝の言葉を述べつつ座ると、「他の人のために行動したあなたに感動して、席を確保してあげようと思ったんだよ。素晴らしいことだ」と言ってくれました。
(中略)
引っ込み思案であまり積極的ではなかった私ですが、そのことがあってから、前から汚いと思っていた、部活でよく使うトイレを自ら掃除するなど、少し変われたと思います。
高校生も隣の席の男の人も、ささやかな善意の気持ちと行動が素敵だね。
このようなエピソードは、なかなか記事として表には出てこない。
小さな奇跡といってもいいと思うが、小さな奇跡はあちこちで起こっているはずなんだ。
コロナ禍で、間違った正義感による自粛警察や、誹謗中傷がクローズアップされる。ギスギスした世の中で、人々はストレスを溜めこんでしまっている。そういうニュースばかり見聞きしていると、社会は絶望的な状況のように思えてしまう。
ネガティブなニュースの方が注目度が高いから、マスコミはハイエナのごとく刺激的な餌に食いつく。
悪目立ちする若者や学生たちを取り上げ、あたかもすべてがそうであるかのように「最近の若者は…」とひとくくりにする。それが全体の0.1%で、99.9%の若者は関係ないというのに。
バカな発言や行動をする人がいるのは事実だが、彼らは少数派であり、大部分の人は良識のある人たちだ。しかし、犯罪者は注目されるが、ささやかな善意の行いが注目されることはほとんどない。善意の行為でも、人命救助などのニュース価値の高いものだけが注目される。
この空き缶の話も、注目されたくて取った行動ではない。善意とは、本来見返りを求めない行動だろう。記事を書いた高校生が、経験談として発表しなければ、埋もれてしまった話。
これを読んで心が和むのは、「世の中、捨てたものじゃない」と思えるからだ。
思い出したのは、映画『ペイ・フォワード』だ。
受けた善意を他人に回す……というペイ・フォワード。
前述の高校生は、空き缶がきっかけで受けた善意を、トイレ掃除をするという別の形で返している。
ささやかな善意を未来につなげているともいえる。
ボランティアは、本来はそういう意味合いなんだけどね。
最近は、ボランティアを人件費のかからない労働力と勘違いしている風潮がある。災害の復興やオリンピックなど、ボランティア前提で計画を立てているのはおかしいと思うのだが……。
私自身の経験で思い出したことがあった。
以前、駅のホームから改札に向かっているとき、後ろから「ちょんちょん」と肩を叩かれて振り向くと、
「落としましたよ」
と、クレジットカードを拾ってくれた人がいた。
財布に入っていたSuicaを出すときに落ちてしまったらしい。
とっさのことで、「ありがとうございます」というのが精一杯。
拾ってくれた人は、そのまま通り過ぎていった。
それから数ヶ月後。
いつものように通勤していると、改札前で私の前を歩いている人が、カバンから落とし物をした。
クレジットカードだ。
私は即座に屈んでカードを拾い、前を行く人を追いかけて、肩を叩いた。
「落としましたよ」
私はカードを渡した。
以前の私と同じシチュエーションでのペイ・フォワードができた。
相手は違うが、恩を返すことができて、少しうれしかったものだ。
日本では落とし物が届けられて戻ってくることが多いというが、多くの人がささやかな善意を行っているということだ。
ひとりひとりがペイ・フォワードをしてつないでいくと、未来は多少は明るくなるようにも思う。