10月5日は「教師の日」なのだそうだ。
日本では馴染みはないが、1994年にユネスコが10月5日を世界教師デーと定めた。
教師に感謝……という意図はわからないでもないが、個人的には学生時代の先生に対して、あまり良い印象がない。
時代が時代だったというのもあるが、暴力教師は少なくなかったし、同じ教科でも先生によって教え方のレベルが著しく違った。その評判は、生徒間で共有され、学年が変わるときのクラス替えで、担任や教科担当の先生が誰になるかで喜んだりがっかりしたものだ。
昭和の時代は体罰が当たり前。
ある先生は、竹刀をいつも持ち歩き、なにか気に入らないことがあると「指導」と称して、竹刀で生徒を叩いた。体育教師にこのタイプが多く、生徒たちを暴力で支配していた。
最近でも、ときどき起こる部活での教師による体罰事件は、この伝統を引き継いでいるためだろう。
教師をしている友人がいるので、「最近の教師は……」とは言いたくないのだが、教師が逮捕されるニュースは多いように見受けられる。
ここ1か月くらいの関連記事の見出しを拾ってみると……
……とまぁ、いろいろ出てきた。
傾向としては、「性犯罪」>「窃盗」>「暴力」といった感じ。
教師という職業が特別であるために、記事になるという事情もある。
この事例を見て「最近の教師は……」とはいえない面もある。前述したように、私が子どもの時代でも、暴力教師はいたし、わいせつ教師もいたが、表沙汰にならなかっただけなのだ。
学校は閉鎖環境というか隔離環境になっていて、少数の教師と大多数の生徒たちだけの世界。そこは支配者としての教師と、従うものとしての生徒の関係がある。いわば全体主義的な世界だ。外からは中で何が行われているか、見えにくくなっている。生徒同士、あるいは生徒と教師の間で、なにか問題が起こったとしても、もみ消されることは珍しくなかった。
真面目な教師は、熱心に教鞭をとり、激務をこなしていることは承知している。
しかし、逮捕される教師は、ほんの一握りだとしても、教師の信用は失墜する。
「教師に感謝する日」といっても、感謝できない教師がいることも事実。
わいせつ教師や暴力教師に、たまたま出会ってしまった子供は不運というか不幸だ。
「教育の質」と同時に「教師の質」も可視化する必要があるのではないか。
生徒はテストの成績で優劣をつけられるが、教師の質にもランク付けをすれば、緊張感が出てくるかもしれない。人事評価の厳格化だ。
優秀な教師はAランクで最低がEランク、とかね。それを示す階級章のようなものを身につけさせるといい。資格試験では、そういうランク付けがあり、それによって就ける仕事が違ったりする。教師にもそういうのがあってもいいのでは?
教師不足ともいわれているが、だからといって質を落として犯罪者予備軍の人間を教師にするのでは本末転倒。
信頼できる教師には感謝したいが、名医が少ないように名教師も少ないんだよね。