温暖化懐疑論をゾンビと呼ぶか?

昨日に続き、温暖化関連の話題。
こちらの温暖化論支持者の主張だ。
私は肯定派・否定派、両方の主張に目を通す。信じる信じないの宗教の話ではなく、科学はなにが真実かを探ることだからだ。

ゾンビのような温暖化懐疑論(上) – 明日香壽川|論座 – 朝日新聞社の言論サイト

 地球の温暖化は、二酸化炭素などの温室効果ガスの大気中の蓄積を起因とする科学的なメカニズムによる。産業革命以降の急激な温暖化は、人為的な温室効果ガス排出の急増に起因し、このままのペースで人為的な温室効果ガスの排出が続けば、人類に対して大きな影響を及ぼす。例えば、現在の洪水、干ばつ、暴風雨、森林火災の年間被害者数は国連防災機関によると約6000万人だが、2100年に少なくとも数倍になるなどの予測は、研究者では確固としたコンセンサスとなっている。

(中略)

論をつくったのも、気候を専門とする研究者ではない人たちだ。にもかかわらず、いや逆にそれだからこそ、同じような議論が、世間に繰り返し流される。まるでゾンビである。「犬が人をかんだ」よりも、「人が犬をかんだ」という記事を好むメディアの性質もあるだろう。

「二酸化炭素温暖化説」は疑似科学?』で取り上げた懐疑論を全否定する、温暖化論支持派の主張だ。
私から見れば、どっちもどっちという気がする。

明日香壽川氏の「ゾンビ」発言は、懐疑派を見下しているようでいただけない。
気候の専門家ではない者が、口を出してはいけないのだろうか?
その姿勢もどうなのかと思う。

たとえるなら、三つ星シェフのフランス料理を食べたラーメン屋の主人が、料理を批判した。
それに対して、
「私の料理に、ラーメン屋ごときが偉そうに文句言うな」
……て、話だろう。

専門分野以外が口を出すなというのであれば、閉鎖的になってしまうように思うのだが?
明日香壽川氏の経歴を拝見したが、気象学者というより政治・経済寄りとお見受けした。政府機関に近い立場のようなので、研究者として中立とはいえないよね。

温暖化懐疑論といっても、2つの路線がある。

  1. 地球は温暖化していない。
  2. 温暖化はしているが、二酸化炭素が主因ではない。

両者は似て非なるもの。
私は、(2)を支持する。

今年の夏は暑い。
まぁ、毎年同じことをいってる気もするが、実感としての暑さと地球温暖化を結びつけてしまうことが、誤解のもとだったりもする。

暑いところがあれば寒いところがある。
南半球は、今が冬。
オーストラリアでは、めったに雪は降らないそうだが、今年は積雪して雪の中をカンガルーが走り回っているという。

温暖化論議のなにが正しいのかは、来世紀には決着しているだろう。
80年後。
22世紀になって、温暖化が進行している世界なのか。
あるいは、温暖化は杞憂で、逆に小氷期に突入しているのか。

私が「パリ協定」は愚の骨頂だと思うのは、その程度の削減目標では意味がないからだ。
人間の二酸化炭素排出が元凶だというのなら、石炭・石油の使用は即時停止だろう。

肺がんが見つかった喫煙者に、そのままタバコを吸い続けると肺がんが悪化しますよ……というときに、1日20本は多いから10本に減らしましょう……というか?
即、禁煙させるのが処方だ。

明日香壽川氏は懐疑論に対して反論してきたというが、中世温暖期や縄文時代の温暖化については、肯定派の人たちは触れたがらないように見受けられる。人間の活動が関与していなかった時代の、今以上の温暖化について、明確な原因やプロセスは諸説あってよくわかっていない。

温暖化でデメリットを被る面もあるが、メリットになることもある。中世温暖期や縄文時代は、温暖化していたことで北の方まで暖かく、生活圏が広がり、食料も豊作だったとされる。
バイキングが活躍した時代が中世温暖期にあたるが、凍結していない北海を船で渡り、緑に覆われていたグリーンランドに入植していた。それは温暖化の恩恵だったのだ。

IPCCが胡散臭いのは、政府や利権団体に近すぎることだ。
また、参加している科学者・研究者が、なぜ匿名なのか。

気候変動に関する政府間パネル – Wikipedia

参加者
代表者、会員の氏名は非公開である。 名称は「政府間パネル」であるが、参加者は政府関係者だけに限られず、各関連分野の科学者など専門家も参加している。 2007年の第4次評価報告書の場合、130ヵ国以上からの450名超の代表執筆者・800名超の執筆協力者による寄稿、および2500名以上の専門家による査読を経て作成されている。

誰が書いたかわからない報告書に、誰がお墨付きを与えるのだろう?
すべてを透明化しろとはいわないが、誰が書いたのかくらいは署名入りで出した方がいいのでは?
論文が署名入りじゃないなんて、普通ありえない。責任の所在をうやむやにしているように思える。

IPCCは二酸化炭素の排出規制を提言するものの、もっとも肝心なことには目をつぶっている。
それは度々書いているように、世界人口が多すぎること。
本気で地球の未来、人類の未来を心配するのなら、人口を減らすことを提言しなくちゃいけない。

エネルギー消費量が多すぎるのは、人口が多いからであり、人口が少なければエネルギー消費量も減る。
産業革命以前の人口であれば、石炭・石油を燃やしても、たいした問題ではなかったのだ。

いずれにしても、パリ協定の目標は達成できないだろうし、石油の消費をやめるのも難しい。数十年後の未来の気候の問題よりも、今月の稼ぎがどうなるかの方が重要だという世界。電気自動車は徐々に普及していくだろうが、エンジン車と置き換わるには何十年かかかる。

IPCCは、化石燃料に代わるエネルギー源として、再生可能エネルギーとともに原発も推奨している。
二酸化炭素より放射性廃棄物の方がいいといっているようなものだ。
ほんとうにそれでいいのか?

結局のところ、自分が死んだあとのことなんて、知ったことではない……ともいえる。
100年前の人々が、100年後の私たちのことを考えてくれたかね?
100年後のことは、100年後の人たちでなんとかしてくれ。
歴史はその繰り返しでもある。

ただね、議論することは必要。
肯定派、懐疑派とも、もっと議論した方がいいのだ。
結論はすぐには出ない。
結論とは、実際にどうなるかでしか証明できないのだから。
答えが出るのは、22世紀。
大部分の人は生きちゃいないが、答えを知りたいものだ。

諌山 裕

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