この問題……
根が深いというか、根底にはいろいろと複雑な事情と心情がある。
触れない方がいいのかもしれないが……
岡村&たけしの「嫌ならTV見るな」にネットでは猛反発 | web R25
そして現在、岡村やたけしなどが唱えた「嫌なら見るな」に対する意見として盛んにとり上げられているのが、ミステリー作家の深水黎一郎氏の8月13日のツイート。14回に分けて投稿されたこのツイートで深水氏は、欧米で導入されている電波オークション制度を紹介しつつ、「放送局は電波を独占していて新規参入ができないのだから、『嫌なら見るな』は成立しない」という主旨の反論を展開した。この意見は多くのネット住民の支持を集め、
問題点は大きく分けて、2つ。
(1)テレビの中の人が「嫌なら見るな」という矛盾。
(2)なぜ韓流が問題にされるのか。
(1)テレビの中の人が「嫌なら見るな」という矛盾。
テレビの中の人、つまりテレビが仕事の場の人が、「嫌なら見るな」というのは傲慢というか仕事に対するプロ意識がないような気がする。
飲食店に行って、出された料理が口に合わなかったら、
「嫌なら食うな」
と、店長にいわれるようなもの。
まぁ、そういう店には二度と行かないだろうが、客に不味いといわれて「嫌なら食うな」という料理人はプロ意識があるのか?……と問いたい。
テレビは無料だから、「嫌なら見るな」という論理が成立するのか?
そういう問題ではないだろう。
災害や救済のボランティア活動がいろいろと行われているが、そのサービスを受ける人が文句をいったとき、
「嫌ならサービスを受けるな」
と、いうのだろうか?
そうじゃないだろう。無料かどうかは、問題なのではない。
テレビを仕事としている人たちの、プロ意識、客(視聴者)に対するスタンスの問題だ。
タレントが「嫌なら見るな」というのは、「オレのことが嫌いなら、オレの番組は見るな」といっているのに等しい。
それでいいのか?
もっといえば、「嫌なら見るな」の対象となる番組なりテレビ局の、スポンサーの商品も「嫌なら見るな。スポンサーの商品は買わなくてもいい」といっているようにも解釈できる。
それでいいのか?
「テレビ(地上波)は無料」という意識が、どこか言い訳の根拠にしているようであざとい。そこには、「タダで見せてやってるんだ」という傲慢さも垣間見える。
「嫌なら見るな」を論理的に成立させるためにも、有料化して、金を払っている「見たい人」だけが見られるようにスクランブルをかければよい。そうすれば、「嫌なものは見ない」ことになる。
(2)なぜ韓流が問題にされるのか。
この問題は根が深い。
表向きは、日本と韓国は国交があり、経済的にも貿易が盛んで、文化的にも交流がある。
しかし、本音の部分では、解決できないであろう領土問題があり、太平洋戦争中の日本と韓国との関係が、いまなお問題にされ、ことあるごとに対立の火種になる。韓国では反日教育が国是となっているのも事実だ。
友好、友好……といいつつも、反日教育を施し、日本に対して常に謝罪を要求する。日本の首相や政治家は、いつまで、何回謝罪すればいいのだろう?
昔の日本が周辺諸国に対して行ってきた行為は、歴史的事実として受け止めなくてはならない。それは重々承知している。
だが、私も含めて、戦後生まれ世代にとっては、親の世代、祖父の世代の罪である。親が犯罪者だったら、その子どもや孫まで犯罪者なのか?
特に、今の若い世代にとっては、韓国から戦争中のことを責められるのは、納得できないだろう。なぜ、私たちが責められなくてはならないのか? なぜ、私たちが謝罪しなくてはならないのか? 私たちは戦争には荷担していないのに。
日本人だからと、戦後生まれ世代が、戦争犯罪者として見られるのは屈辱だ。そのことで侮辱されるのは腹立たしい。アジアカップ準決勝の日韓戦で、日本を侮辱するパフォーマンスをしたことが問題になったりしたが、その背景には反日教育と反日感情がある。
個人的なレベルでは、韓国人と日本人は、それほどわだかまりなくつきあえる。以前勤めていた会社に、中国人と韓国籍の人がいたが、彼らとはそうした国の背景はあまり問題になることはなかった。それが「国」として強く意識して対峙すると、反発し合う。
韓流に対する反発の根底は、国としての意識や尊厳の問題だ。韓国に接するとき、まず謝罪から始めなくてはならない現状に、戦後世代は屈辱的な気分を味わう。
政治家は、とりあえず頭を下げて友好関係を築こうとするが、そのことは日本人としての誇りを傷つけていることにもなる。韓国や中国に対して負い目を感じている政治家は、なにかと弱腰だ。領海侵犯に対しても、強気の姿勢を打ち出せない。頭を下げて丸く収めよう……というのは、日本国内でしか通用しない。外国に対しては、主義主張は明確でなければならない。外交下手の日本の弱気に、若者世代は屈辱を感じているのだと思う。
韓流への反発には、歴史的、政治的、国家的、民族的なさまざまな要素が絡み合っている。
そういう意味では、まだまだ友好国とはいえないのかもしれない。少なくとも、反日教育が続いている限りは。