人の脳と心の問題は、真の人工知能(いわゆるシンギュラリティ)が可能かどうかの問題とも関連している。
脳=心、あるいは,脳≒心、なのか。
ある意味、鶏が先か卵が先かみたいな話。

脳と心は同じもの?人類最大の謎「意識のハードプロブレム」とは何か(山本 貴光) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)

いま「心」と「脳」に分けて質問してみた。ではさらに、もうひとつ質問。心と脳は同じものだろうか、それとも違うなにかだろうか。「心が解明される」のと「脳が解明される」のは同じことだろうか。それとも違うことだろうか。

(中略)

この問いは「心脳問題」という難問として知られる。

(中略)

心と脳の関係に関して「意識のハードプロブレム」と呼ばれる問題がある。オーストラリアの哲学者デイヴィッド・チャーマーズが、心と脳の研究史を踏まえた上で、かつてそのように名付けた。

物質としての脳がどのように機能しているかという問題は、どちらかといえば「イージープロブレム」、解きやすい問題だ。といっても、誰でも簡単に解けるという意味ではない。次に述べる「より難しい問題」と比較して、という含意だ。現に脳についての研究が進むにつれて、その物質としての側面は徐々に明らかになってきている。

他方で、そうした「物質」であるはずの脳の働きから、どのようにして「物質ではない」はずの心、つまり主観的な意識という体験が生じるのかは、解くのが難しい。また前述したように、物質ではないはずの心が、物質である体を動かしているのだとしたら、いくら脳の中身を詳しく調べても、そのメカニズムは解き明かせないはずだ。これが「ハードプロブレム」というわけである(ここから「意識」という言葉も登場するが、先ほどまでの「心」と同じ意味だと考えてもらってとりあえず差し支えない)。

脳が脳自身を解明しようとしているわけで、まずそこから矛盾していたりする(^_^)。

哲学的には「クオリア」を持ち出す人もいる。
だが、哲学は思考実験であり、仮定に仮定を重ねて、仮定の理論を組み立てるものだ。悩み相談にはいいかもしれないが、真理の究明には不向き。詭弁とはいわないまでも、科学のように検証可能な理論ではない。

私たちが「心」といっている、自己の個性や意識は、それ自体がイメージの産物であり仮想である。
「心」がある……と仮定しているともいえる。

心脳問題」は、「心」が存在すると前提した場合の問題だ。
心は脳が作り出した、幻想だとしたら?

じつは、私たちが見ている世界は、脳によるイメージ化の世界だ。
目で光をとらえ、それを像として認識するのは、脳が情報処理をした結果。
人間の目で見た世界と、犬や馬の目で見た世界は、同じものを見ていてもまったく違うものに見えている。目の構造が違うのだから、当たり前だ。

昆虫は複眼で見ているし、紫外線を見る目を持っている種もいる。
対象となる世界は同じでも、世界の見え方は異なる。

人の視覚は像として認識するまでに若干の時間がかかるため、リアルタイムに見ているのではなく、30分の1秒(約30ms)ほど過去を見ている。脳の処理速度はミリセカンド(ms)単位であり、コンピュータに比べるとかなり遅い。情報を知覚し、なにがしかの反応するのに100〜200msかかるといわれる。

蛍光灯の明かりは50〜60Hzで点滅(約17ms)しているが、点滅して見えないのは、脳の処理が遅いため点滅を判別できないから。つまり、私たちはリアルを見ていないのだ。
一瞬前の過去を見ているのに、ちゃんと対応できるのは、一瞬先を無意識に予測しているからだ。そこが脳の素晴らしいところでもある。

宇宙は物理法則で成り立っている。
膨張する宇宙も、ブラックホールも、地球も、人間も、細胞も、インフルエンザウイルスも、原子も、クオークも……、あらゆるものが物理法則に支配されている。
というのが、現在の科学が辿り着いた、ひとつの真理。

であるならば、心が「非物質」であるはずはない。
非物質だとするなら、物理法則に反することになり、宇宙論が間違っていることにもなってしまう。
非物質というのが、ダークマターやダークエネルギーという可能性も否定はしないが、そうなるとますますやっかいな問題になる。
心がダークマターだとしたら、どういう法則で物質である脳をコントロールしているのか?
そんな方法があるとしたら、物理法則を書き換えなくてはいけなくなる。

ならば、こう考えてみる。

「心」は実体として存在しない。……と。

私たちが「心」と思っているのは、脳が作り出す仮想のイメージであり、実在はしないのだと。「心」があるように振る舞っているのだと。
それは、ロボットのPepperが心があるかのように演技しているのと大差ない。

現在のAIには「心」がない。
だが、心があるように演技させることは可能だ。
「ボクは、あなたのことが好きです」
AIにそういわせることは簡単。
それは嘘、心はないと、人間は断言する。機械に心はないのだと。

しかし、心の存在の有無を、第三者が判断する基準はあるのだろうか?
心という実体が存在しない以上、「これが心です」と示すことができない。
「私には心があります。信じてください」
と、信じるかどうかの話になってしまう。

ピーター・ワッツのSF長篇『ブラインドサイト』では、知性にとって意識は必然的なものではないという設定の話になっている。

これはなかなか示唆に富んだSFで、AIが高度に進化すれば、機械知性ともいえるレベルにまで到達する可能性もある。
そのとき、AIに意識……つまり心はなくても、知性を持つことになる。
現在のAI技術は、皮肉にも心を持たなくても知性を獲得できるかもしれないことを示しているわけだ。

脳が意識を発生させる器官であるならば、神経細胞等の構造が意識を発生させていると考えるのが自然だ。
それが量子的(量子脳理論)なものかどうかはともかく、細胞由来であるならば、神経細胞を持つあらゆる生物に意識は存在することになる。
実験によく使われるショウジョウバエにも、ゴキブリにも、ミミズにも、魚にも、ラットにも。
高度な知性かどうかは、神経細胞の複雑さ、つまり数に比例する。つまり、心とはたくさんの神経細胞の集合体として存在するともいえる。

進化の歴史をさかのぼれば、原初の生命である単細胞生物から複雑な構造の生物に進化したわけだが、どの段階で生物は意識を獲得したのか?
身近なところでは、人の精子と卵子が受精し、細胞分裂を始めてから、どの段階で意識は発生するのか?
神経系ができはじめた頃だとすると、かなり早い段階から意識は生じていることになる。胎齢3週目くらいには中枢神経系が形成され始め、6〜7週には刺激に対する反応がみられるとのことなので、この段階で意識は生じていると思われる。
ただし、まだ神経系の複雑さは乏しいため、意識はかなり未熟だろう。

意識=心」とするならば、心は単一のものではなく、神経細胞に発生するたくさんの意識の集合体だ。
たとえるなら、ひとつひとつの神経細胞は1つの画素で、それが1000万画素になると鮮明な写真(または映像)になるようなもの。

脳が損傷したり認知症になって脳が萎縮すると、性格が変わったり認知能力が低下するのは、神経細胞が死滅して心の画素数が激減するからだと考えれば合点がいく。
心と脳が別物であれば、脳の劣化と心は無関係のはずだからだ。

私たちが「心」だと思っているものは、微細な意識の集合体かもしれない。
脳は意識の集合体を、「心」として仮想化しているのではないか。

だとするならば、AIに「心」を持たせるヒントがここにある。
神経細胞に相当する、微細な意識の1画素を発生させるパーツを発明すればいい。

意識の画素のことを、「心素」と仮称しよう。
心素を発生させるのが、CPUの半導体でないことは明白だろう。もし、半導体が心素になるのなら、コンピュータに意識が発生していることになるが、そのような徴候はない。
おそらく、電気的な回路だけでは心素は発生しない。
生体のように、電気的かつ化学的な回路が必要なのだろう。

心素回路が発明され、それを数千万心素にまで拡張すれば、意識は心として目覚めるかもしれない。
とまぁ、このアイデアでSFが1本書けるな(^_^)

諌山 裕

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