なんだか大きな話題になっている、直木賞作家、坂東氏の子猫殺し。
livedoor ニュース – 「子猫殺し」直木賞作家 背景に「日本嫌い」
坂東さんはこのエッセイで、最近の青少年の殺人事件で「人が死ぬのを見たかった」「殺してみたかった」などという言葉を聞くことを挙げ、充実した「生」の実感は「死」への意識が必要だと説いている。さらに、
「現代都市生活では獣の死骸はまず見ない。(略)都市とは。死を排除された空間だ」
と述べる。つまり、現代都市生活では「死」はことごとく隠蔽され、「死」への実感がないからこそ、「生」の充実もないというわけだ。そして、現代都市生活とは「日本」のことである。
この人は、我慢のできない人なんだと思う。つまり、ストレスに弱い人だ。
都市に「死」が希薄だというが、私はつい最近、長年生活を共にした猫の死に直面した。これが初めてではない。これまでに何度も猫や犬の死に直面してきた。けっして希薄などではない。
死を実感するために、猫を殺す、という論理が理解できない。
むしろ、この人は、殺すことの快感を覚えているのではないだろうか?
殺人者がそうであるように。
病気や老衰で死ぬことと、殺して死ぬこととでは、死の意味が違う。
彼女は「生」と「死」について、彼女なりの意味づけをしているが、死に至る意味にまでは考えが及んでいないようだ。
この人は寂しい人なのだと思う。
死に執着しているといってもいい。
だから、殺すことで生を感じるのだ。
彼女の生と死の論理からいけば、都市の住民は殺し合うことで、「生」の充実感を得られる……とも受け取れる。
そんな社会に、誰が住みたいのだ?
だが、現実には中東では殺し合いが日常化している。
だったら、彼女はタヒチではなく、銃弾が飛び交うイラクかイスラエルやレバノンに住めばいいのだ。自分も殺されるかもしれない環境であれば、さぞかし「生」を実感できるだろうに。