環境問題の続編。
以前にも書いたが、ペットボトルのリサイクルが本当に「エコ」になっているのかどうか?……という問題について、興味深い記事があった。
東京都練馬区では、今月からゴミの分別が細分化され、以前は燃えないゴミとして分類されていたゴミの中から、リサイクル可能なペットボトルやプラマークの入った容器は別扱いになった。
分別項目が多いため、選り分けるのが大変とは、妻の弁。
さて、その記事とは……
ペットボトルリサイクルは資源のムダ? [月刊チャージャー] – Yahoo! JAPAN PR企画
Q.ペットボトルのリサイクルは本当にムダなんですか?
本にも書きましたが、リサイクルをする前はペットボトルのために使っていた石油はおよそ26万トン。リサイクルをするようになってからは約200万トンの石油を使っているんです。平成16年には約50万トンのペットボトルを作り、再利用できたのは3万トンだけ。年間で推定1000億円の予算をかけて、使う資源もゴミの量もおよそ7倍になっているのが現実です。
こうして、具体的な数字を出しての問題提起は初めて見た。
私が疑問に思っていたとおり、リサイクルは本当の意味でのリサイクルにはなっていない。
リンク先の記事では、温暖化、紙のリサイクルについても、具体的な批判をしている。このような主張をする科学者は少数派で、現在の環境問題は企業や利権を握る行政主導で行われている。
環境問題に関連して、「植物性の燃料や素材は、燃やしても二酸化炭素の増大にはならない」……というのも、疑問のある主張だ。
その根拠は、もともと大気中にあった二酸化炭素を植物が吸収して、燃やされるとそれを戻すだけだから、とされている。
だが、これも限定された条件をモデル化しているだけに過ぎない。
たとえば、100の二酸化炭素を吸収した植物を原料にして、100の二酸化炭素を含む燃料を作ったとする。
そうであるならば、差し引き0で、増減はないことになる。
しかし、実際には、バイオ燃料を作る過程で、電力や輸送のための燃料を使っているから、完成品の燃料には100+αの二酸化炭素が含まれている。いちおう、それらの製造消費も計算されているようだが、あくまで想定された仮想値である。つまり、不明部分があるということを、あたかも妥当であるかのように取り繕っているだけだ。
人が労働者として関わっているから、人件費というものにもエネルギー消費はかかっているし、さらに細かくいえば労働者が工場に通勤するための交通手段にだってエネルギー消費はあるし、社員食堂で食べる料理にもしかりだ。だが、そこまで計算しているとは思えない。
要するに仮想値は偽善なのだ。
また、バイオ燃料の元となる植物を作るために、新たな土地を開墾して森林や草原が消失したり、トウモロコシの増産で地下水が不足して、土地が荒れたり水の不足分を他から補ったりと、マイナス要因も多い。しかし、それらのことは計算には入っていないようなのだ。
そもそもの問題は、エネルギー消費の総量にある。
総量を減らさず、二酸化炭素だけを減らそうとするから、しわ寄せが他に及ぶ。
テレビニュースでは毎日のように環境問題を取り上げているが、当のテレビ局は24時間放送をやめようとはしない。本気で環境問題を考えているのなら、テレビ局が自ら、放送は午前0時で終わり、朝6時から再開、というよなことをしなくては意味がない。テレビが放送をしていることで、起きている人々も多いわけで、テレビが6時間放送を止めるだけでも、かなりのエネルギー削減になるだろうと思う。ただし、すべてのテレビ局が足並みをそろえる必要がある。
だが、そんなことには絶対にならないだろう。なぜなら、テレビ局も結局は、環境問題よりも利益の方が優先だからだ。ニュースステーションの古館氏がいかに環境問題を声高に説いても、テレビ局が身を切るようなことはしない。つまりは、かけ声だけだ。
環境問題の本質はなんなのか?
それをウソではなく、真実から見極める必要があるのだと思う。