サッカーとビジネスを結びつける記事は少なくない。
以下もそんな書評記事。
【書評】欧州サッカーに何を学ぶか – スポーツとITの詰め合わせ
監督在任中にクリンスマンは、「専門家をパートナーに迎えよ」「チームの団結心を高めよ」といった新しい指針を打ち出すとともに、人事にも積極的に介入して、自分に似た考えを持つヨアヒム・レーヴを後継者に据えました。これらは、自分が退任した後でも組織が回るための取り組み、いわば、未来への種まきだったのです。一方で、「自分はいなくても問題ないと公言できる経営者がビジネス界にどのくらいいるだろうか」と本書は問題提起しています。クリンスマンの行動は、企業経営を考える上での1つの羅針盤となるでしょう。
こういう会社だったら、働きがいもあるんだろうなー、と思う。
残念ながら、私が現在勤めている会社はそうではない。
過去、いくつかの会社を転職してきたので、それぞれの会社の特徴というか良し悪しが、社長の姿勢とか考え方に左右されることを経験的に感じてきた。
社長はサッカーでいえば監督だ。
監督の資質や方針で、チームの方向性や戦い方が変わる。
選手の顔ぶれが変わらなくても、監督が代わることでチームが違ったチームのようになるのはよくあること。
会社でも同じだ。
監督が選手の模範になるように、社長は社員の模範になる。
いい意味でも悪い意味でも。
社員の持てる能力を、いかに引き出すかは上司や社長しだいだ。
私の勤める会社は、社員数が15人ほどの小さな会社だ。
中間の役職はなく、社長が平の社員に直接指示を出すような形。
指示がストレートに伝わるという意味では、エラーが発生しにくいメリットがある。
逆に、ほとんどの権限や判断は社長が保持するため、社員は指示を実行するだけになってしまう。
つまり、ワンマン社長の典型だ。
平社員はクライアントと直接顔を合わせることや、打ち合わせをすることはない。すべては社長を通して伝達される。
これは社内の別の部署との関係でも同様で、同じフロアにいる他部署の社員と直接仕事の話ができない構造になっている。社長を通さないと、なにもできないのだ。
これは恐ろしく効率が悪い。
社長が不在のとき、仕事は社長の机の上で止まっている。
すべてを把握したいという意図なのだろうが、ただの伝言ゲームになっていることも多い。
これでは新人社員は、言われたことをするだけになってしまい、クライアントとの交渉術とか仕事全体を俯瞰して判断する能力は養われない。
おそらく、社長的にはそれでいいと思っているのだろう。
手足になって働いてくれればいいと。
まぁ、それはそれで、こっちは楽ではある。
私自身は、以前の会社で、仕事のプロジェクトをまるごとまかされたりして、それなりに仕事を覚えたので、今さらどうこういうつもりはない。フリーランスのときには、営業、交渉、実務とすべて自分でやっていたからだ。
ただ、今いる若い社員は、デスクワークの実務は覚えても、それ以外のことは学ぶ機会がないのが気の毒だ。
ようするに、社員を信用していないのだろう。
さらに解せないのは、社長が社内で居眠りしていることだ(^^;)
毎日、遅くまで仕事していて、お疲れなのはわかるが、社員がいるところで、机に突っ伏して居眠りしているのは、どうなのかと思う。社長は我々と机を並べているから、丸見え。
居眠りしていると不在なのと同じで、社長の了解を得るための仕事が、溜まっていくのだ。
サクサクと仕事を終わらせたいこっちとしては、止まっている仕事を早く回して欲しいと思ってしまう。
業績を伸ばしている会社の社長が、社員のいる前で居眠りするだろうか?
ユニクロや楽天の社長が、仕事中に居眠りするか?
するにしても、社員の目がないところで仮眠するだろう。
国会議員は議場で居眠りするが、あれはみっともないし、ふざけた態度にしか見えない。
上に立つものは、模範を示すべきなのだ。
社長が居眠りするということは、社員が居眠りしても叱ることができないということだ。社内の空気というか規範として、自らを律しなければ、仕事に緊張感がなくなり、手抜きになる。
そのへんの自覚が足りない気がする。
……と、平社員の私が嘆いたところで、どうしようもないのだが(^^;)