ハリル監督解任の事態は、さまざまな反響を呼んでいる。
解任論を声高に叫んでいた、何人かのサッカー評論家たちは、諸手を挙げて喝采するのかと思いきや、いざ解任が現実になると、歯切れの悪い慎重論になったりしている。
「これでグループリーグ突破の可能性が高まった」
と、プラス評価する人がほとんどいないのは、どうしたわけか?
解任するべきという理由は、そこにあったのではないか?
マスコミの解任論調が、少なからず影響していたわけで、責任の一端は解任論者たちにもある。
W杯で、どういう結果になるかは、蓋を開けてみなければわからないが、もし、散々な惨敗に終わったとしたら、解任を後押ししたサッカー評論家たちも責任を負うのがケジメというものではないだろうか? 言論の自由には、自分の発した発言に対する相応の責任もあるはずなのだが……。
解任論者たちの主張には、共通したキーワードがあった。
「日本らしいサッカー」という、抽象概念だ。表現として「日本人に合ったサッカー」という人もいたが、それも含める。
その定義は、論者によって微妙に違うのだが、よく挙げられるポイントは3つ。
これが「日本らしいサッカー」の基本だと考えられている。
しかし、この3要素は、サッカーをする上で、不可欠な要素であり、日本人にだけ備わっているものではない。
では、この3要素が、強豪国より優れているかというと、そうともいえない。
FIFAランキング1位のドイツを比較対象とした場合、日本チームは3要素のいずれかで、ドイツより優れているといえるだろうか? ドイツを10点とすれば、日本はひいき目に採点しても、7〜8点止まりだろう。そのくらい差が歴然としている。
「日本らしいサッカー」についての、典型的な記事が以下。
福田正博、ハリル解任に「W杯後はフィジカルの弱さを知る新監督を」|サッカー代表|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva
日本サッカー界が手に入れたいのは、「W杯での結果だけ」なのか、「日本人らしいスタイルで結果を残すこと」なのか。もちろん、理想は後者なのだが、強豪国ではない日本にとっては至難の業であるため、「結果」と「日本人らしいサッカー」の天秤は、W杯が終わるたびに左右に大きく揺れる。この一貫性の欠如が、今回の監督交代劇を生んだ遠因になっている。
(中略)
ドイツW杯後、ジーコ元監督は「日本人には身長が足りなかった」と分析し、それから12年後のハリルホジッチ前監督も「フィジカルが足りない」と常に嘆いていた。フィジカルの差が、試合終盤での体力の差に表れることは明らかだが、日本人の体格がわずか数年で世界基準に達するわけでもない。
そのため、外国人監督を招聘する際には、「フィジカルのハンデを埋める対策を、フィジカル以外の部分で講じてくれること」を前提とすべきだ。
(中略)
日本サッカー協会が提唱する「日本独自のサッカーを」の実現を第一に考えれば、多くの国に倣って4年というタームで監督を交代させることはない。
結論からいうと……
フィジカルのハンデは、フィジカル以外で埋めるのは難しい。
背が高い、足が速い、筋力がある、反射神経が鋭い、視野が広い、スピード感がある……といった身体能力は、持って生まれた才能の違いでもあり、努力で補うのには限界がある。トレーニングで強化できるのは、筋肉をつけることくらいだ。
「身長が低い」というハンデを、なにで補うか?
俊敏性か?
背の高い欧州選手が、体が大きいから動きが鈍いというわけではなく、体が大きくても俊敏に動けるし、そのための筋肉もつけている。俊敏性だけで、体格のハンデを補うには、常人離れした俊敏性が求められる。絶頂期の香川のような俊敏性だ。
ゴールキーパーを除く10人が、(絶頂期の)香川のような動きをできればいいが、それがいかに現実離れしているかは日本サッカー界を見渡せばわかる。香川は希有な選手なんだ。
背が高いと、視野が広くなるということでもある。
評論家がこの点を指摘しているのを見たことがないのだが、おそらく評論家も身長が低いから、背が高いことの実感がないのだろう。
私の身長は182㎝、ソールが厚めのトレッキングシューズを履くと、185㎝くらいになる。
サッカー選手の基準では、それほど高い身長ではないが、平均的な日本人に比べれば、身長は高め。電車に乗ると、私よりも背が高い人は、1人か2人で、大部分は私の目線より下に頭がある。つまり、私は周りの人たちを見下ろす視点で見ている。視界が遮られないので、電車内の奥の方まで見渡せるわけだ。背が低い人たちは、周囲の人たちの後頭部や背中を見ているわけで、視界が遮られ、視野が狭くなっている。
サッカーの試合中、ボールを保持した選手を、背の高い選手が囲むと、背の低い選手は視界を制限され、周りが見えにくくなる。
一方、背の高い選手は、背の低い選手に囲まれても、頭越しに周りが見える。
視野がまるで違うことになる。
この差は、どこにパスを出すか、次にどういう動きをするかの、判断を左右する。
これは大きなハンデとなる。
日本人選手が170㎝としたら、190㎝前後の選手と比べたら、20㎝の視点の違いは、かなり大きい。身長が高いということは、手足も長いので、踏み出す一歩にも差が出る。それが顕著だったのが、マリ戦(2018/03/23)でのリーチの差だ。長い足を出されて、ボールを奪われるシーンが多かった。この差は、時間に換算すれば0.5秒くらい身長が高い方が有利ともいえる。これを俊敏性でカバーするには、相手よりも1秒早く動かないといけない。その俊敏性が、日本人にはないのが現状。
背の高い相手に寄せられる、囲まれる状況になったら、圧倒的に不利。だから、寄せられる前に、ワンタッチでボールをつなぐ必要性が出てくる。ところが、ワンタッチではパス精度が落ちるため、意図した方向に飛ばず、パスミスになる。それが失点につながることが多い。
ならば、ワンタッチパスの精度を上げればよい……というのが理屈だが、これがまた難しい。成功率が低すぎるんだ。
つまり、「足元のテクニック」も、自慢できるほどのレベルにはない。リフティングはうまいかもしれないが、試合の中ではあまり役には立たない。
「日本らしいサッカー」で、ことさらに強調されるのが「規律とチームワーク」だ。
だが、これは利点であると同時に欠点にもなる。
日本人が規律を守るというのは、いわれたことだけやる、自分の判断で行動しない、といったマイナス面にも現れる。監督の指示に忠実な「いい子ちゃん」ではあるが、局面を個の力で突破するといった行動に出ることもなくなる。それがシュートを打てる場面で、パスを選択するといった消極的な行動になっている。
ドイツチームにだって、規律とチームワークはある。むしろ、日本チームよりは上のレベルだ。自由奔放のイメージがあるブラジルチームにだって、規律とチームワークはある。ただ、その意味合いというか捉え方は日本とは違う。
一糸乱れぬチームワークで、全員守備、全員攻撃、連動したプレッシングに、連動したカバーリング……というのが理想ではあるが、これを90分間、持続させることは不可能だ。どこかで遅れる、あるいは判断ミスする、ボール奪取に失敗する……といったほころびが出ると、チームワークは乱れ、破れた裂け目は広がってしまう。
後半になれば疲れによって、動きが鈍くなる。1人の動きが遅くなると、もはやチームワークで連動した動きはできなくなり、守備と攻撃がちぐはぐになる。チームワークに比重を置いた展開は、1人でも脱落すると機能しなくなる脆さがある。日本が勝てない試合、負ける試合は、ほとんどがこのパターンだ。チームワークを過信するあまり、機能しなくなると対応できなくなる。
つまるところ、「日本らしいサッカー」の基本となる3要素は、傑出して優れているわけではなく、世界的に見れば凡庸であり、特長というほどの利点ではないということ。
極論すると、「日本人はサッカーに不向き」ともいえる。
それをいっちゃうと、あまりに悲しいから、なんとか世界と戦えるようにしたい。
じゃ、どうするか?……という話。
前述したように、「フィジカルのハンデは、フィジカル以外で埋めるのは難しい」から、フィジカルを向上させるしかない。
身長は、遺伝的性質よりも、成長期の栄養と生活習慣に左右される。カルシウムと蛋白質をたくさん摂取し、十分な睡眠時間を確保すること。
以下のようなデータがあった。
「牛乳摂取量と身長の比較」は、明確な出典が不明なのだが、このデータだけが各所に引用されている。まぁ、参考程度に。
「世界の身長比較」は、出典元サイトがなくなっているようで、画像だけが残っていた。
牛乳をたくさん飲めば、身長が伸びるというほど、単純なことではないにしても、欧米に比べて摂取量は少ないとはいえる。
私の身長(182㎝)は、オランダの平均身長程度なのだが、子供〜思春期のころは、牛乳および乳製品は大好物でたくさん飲んで(食べて)いた。両親はその世代では平均的な身長だと思うが、私は飛び抜けて身長が高くなったわけだ。遺伝的要素よりも、食生活が身長を左右する例だろう。
つまり、今、少年サッカーをしている世代に、牛乳をたくさん飲ませ、食生活を見直し、十分な睡眠時間を確保する生活習慣を指導することが必要だということ。成長ホルモンは、夜の睡眠中に分泌されるため、夜更かしは御法度なのだ。
これは、10〜20年後を見すえた取り組みとなる。
野球の大谷選手で注目を集めている「骨端線(こったんせん)」を調べることも、少年〜高校サッカーをやっている子どもたちには必要だ。
※骨端線の解説はこちら。
大谷選手は高校時代に骨端線を調べたことで、22歳ころまで体が成長するだろうと予測されたそうだ。そのため、トレーニング方法として、骨に負荷がかかり過ぎないようにしたという。そして、現在のような恵まれた体格を手に入れ、アスリートとして優れた能力を発揮できている。
日本サッカーも、科学的、医学的なアプローチを、もっと積極的に導入すべきだ。いまだに根性論でサッカーを論じる人はいるが、身体的にも技術的にもサッカー強豪国に劣っている日本人は、根性だけではどうにもならないことを自覚しなくてはいけない。
成長期は一般的には18歳くらいで止まるので、18歳以上のサッカー選手で180㎝を超えていない人は、高身長は望めない。もはや手遅れということだ。したがって、フィジカルの成長の可能性があるのは、中学生くらいまで。10年後に主力になるであろう世代だ。ちなみに私の場合、中学の3年間で25㎝ほど身長が伸びた。
体が大きくなると、体重も増えるから、俊敏に動くには筋力も必要になる。
日本人サッカー選手は、華奢な人が多いのは、筋力トレーニングが足りないのだと思われる。体が小さい分、少ない筋力で体を動かせることで、あえてより筋力をつけようとは思わないのだろう。
筋肉はパワーを出すために必要なだけでなく、エネルギーを蓄える器官でもある。筋肉量が少ないと、蓄えられるエネルギー量も少なくなり、いわゆるガス欠を起こす。マラソンでは途中でエネルギー補給をすることはできるが、サッカーではハーフタイムを除いて、水を飲むことはできても、すぐにエネルギーとなる食べものを摂取することはできず、自身の体の中のエネルギーを使うしかない。
サッカー選手に、筋力トレーニングを課すことも必要だ。それはハリル監督がこだわっていた、体脂肪率をアスリートレベルに落とすということに通じる。ハリルの言い分は、当たり前のことだったのだ。それができない日本人選手が不満を漏らすのは、ただの怠け者だ。
福田氏のいう……
「フィジカルのハンデを埋める対策を、フィジカル以外の部分で講じてくれること」……その方法はない。
「日本人らしいスタイルで結果を残すこと」……それが現状のJリーグのスタイルであるのなら、世界には通用しない。
「日本独自のサッカーを」の実現……そんなものはない。あるのは、日本人がやるサッカーだけ。ありもしない幻想は捨てよう。
「日本らしいサッカー」……この言葉の背景には、「日本人は小柄だがテクニックは優れているし、チームワークが強みだ」という、自負というか思い込みがある。それは願望であり根拠の乏しい自画自賛なのだが、自分たちの弱さを直視できない強がりでもある。
まずは、自覚することだ。
日本らしいサッカーでは、世界に通用しないことを。
それでも日本らしいサッカーにこだわるのなら、W杯で上位を目指す野望は捨て、出場できるだけで満足することだ。将来的には出場枠が拡大されるので、日本らしいサッカーでも楽に出場できるだろう。
ただし、欲は出すな。
世界と対等に戦えるような、強豪国を目指すのなら、日本らしいサッカーは捨てること。フィジカルを対等にするため、少年サッカー時代の体作りから始め、10〜20年後に成果が出るような長期的な計画が必要だ。
強い日本チームへの最短の方法は、じつは「脱・日本らしいサッカー」なのではと思う。