「フリーランスという仕事」

私も以前はサラリーマンをしていた。

現在はフリーランスである。しかし、その実態はフリーターと大差ないものでもある(^^;)。仕事があるときとないときの落差は大きい。収入が最低のときと、最高のときで3倍くらい違うこともある。確定申告では、税務署の人から自営業とするようにいわれた(^^)。呼び方はいろいろだが、堅気ではない仕事だとは思う。

仕事が忙しいと、プライベートの時間はほとんどなく、24時間ぶっ続けで働いていることもある。Macintoshを使ったデジタルな仕事環境なのだが、自宅が仕事部屋でもあるため、寝ているとき以外は仕事をしている。

作品(小説)を書くためには、多くの時間が必要だ。だが仕事をしないと生活できない。仕事に重点を置くと、書く時間がなくなってしまう。両立させることはなかなか難しい。そのジレンマにときとして悩まされる。

いずれにしても、起きている時間の大部分は、Macintoshとキーボードに向かっているわけである。

私のような仕事をうらやましがる人は多い。毎朝、満員電車にもまれる必要はないし、上司との人間関係に悩むこともない。背広を着ることもなく、仕事先に出向くときにも、Gパンにシャツという普段着のままだ。時間には束縛されず、仕事の納期さえ守れば、昼まで寝ててもいいし、深夜に仕事をすることもできる。

ただし、安定感はない。収入は仕事量しだいだし、高熱を出したからといって休めるわけではない。年中無休、24時間営業なのだ。ことに、出版社が相手なので、相手も不規則な時間帯で仕事をしている。深夜の3時にFAXで打ち合わせということも珍しくない。ボーナスもないし、有給休暇もない。

それでも、私がこの仕事を続けているのは、自分のペースで仕事ができるからだ。また、仕事をこなす能力しだいで、得られる収入が決まる。効率よく仕事ができれば、それだけの報酬を得られるのだ。

サラーリーマン時代は働いた時間で給料が決まっていた。適当にやっても、がむしゃらにやっても、8時間の給料は変わらない。いい仕事をしても、まずい仕事をしても、基本的には変わらない。ボーナスの査定に多少の影響はあっても、同期の同僚と大きな差にはならない。

そのことに、私は納得がいかなかった。同僚の倍の仕事をこなしても、私の給料は同じだったからだ。しかも仕事は、こなせる者のところに重点的に配分される。不合理だ! こういう現象は多くの職場であることだろう。

だから、フリーランスの道を選んだ。リスクも大きいが、1件の仕事あたりのギャラは決まっている。仕事の件数が多ければ、ギャラも多くなる。合理的だ。昨今の企業も、ようやく能力給になりつつあるが、フリーランスの世界はもっとシビアである。社会保障はないし、交通費や必要経費も自腹だ。新しいパソコンを導入するのにも、ソフトのバージョンアップをするのも、すべて自分で買うしかない。

そんなリスクをふまえた上でも、フリーランスのいいところは、

――『自由』

であることだろう。仕事をするのもしないのも「自由」。いつ仕事をするのも「自由」。時間をどう使うのかも「自由」

ただし、責任と結果はすべて自分にふりかかってくる。

この「自由」を味わってしまうと、もうサラリーマン生活には戻れないのだ(^^)。

諌山 裕

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