富野監督へのインタビュー記事。
長い記事の連載になっているのだが、その中の#4はニュータイプと戦争についてだった。
いわんとすることはわかるんだけど、そうはならないとも思う。
富野由悠季「メディアはチェンジの時代にきた」ニュータイプはどこから生まれるか…ガンダムの敗北感|オリジナル|双葉社 THE CHANGE
「“ガンダムの富野”と言われるようになってからの命題でいえば、『ニュータイプ』っていう単語を出してしまったばかりに、人類の革新のハウツーを示すような物語を作りたかったんだけど、それができなかった。
(中略)
『機動戦士ガンダム』の主人公、アムロ・レイをはじめ、同シリーズには「ニュータイプ」と呼ばれるキャラクターが登場する。その概念は明確にされていないが、宇宙という広大な空間へ進出した新しい人類は時空を超えた共感能力を獲得し、「人の革新」そして「人類の新しい在り方」を巡って戦いを繰り広げた。こうした考えはアムロやシャアのセリフだけでなく、富野監督の語る言葉からも伝わってくるものだ。
(中略)
ーー富野さんはゼレンスキー大統領こそがニュータイプだとお考えなんでしょうか?
「そうではないんです。今の7、8歳から12、3歳までの子が、その年齢で、このプーチンの戦争というバカみたいな現実を見ているんです。つまり、今の子たちが30歳ぐらいになったときに、新しいレベルのニュータイプになっているかもしれないと思うわけです」
前にも書いたことだけど、ガンダム(富野監督以外のシリーズを含む)で描かれたニュータイプや戦争は、力には力、暴力には暴力、武器には武器で対抗することで、敵対する相手に勝ち、己の正義や命を守る……ということなんだよね。
平たくいえば、敵を滅ぼすことで世界を変えようとした。
話し合いの和平交渉が皆無ではないが、結局は武力で決着をつける。
ロボットアニメの宿命でもあるが、戦うこと、戦争しないと話が進まない。非暴力で平和的に、民主的に世界を変えようとするキャラクターがいるにはいるが、実を結ぶことはなく、最後はガンダムの武力に頼る。
現実世界でも、話し合いではなく、民衆の武装蜂起や一発の銃弾が世界を変えてきた歴史がある。歴史上の革命の多くは、暴力による解決であり変革だ。
戦争の中からニュータイプが出現するとは考えにくい。
アムロは、最初のうちは敵のモビルスーツを撃破することが、人を殺すことだと自責の念にかられるが、戦い慣れていくにつれて躊躇なく敵を撃破するようになった。殺すことに慣れるというのは、精神的におかしくなっていることでもあるのだが、その自覚はアムロにはない。自分たちが生き残るためには、敵を殺すことが正しいと正当化してしまうからだ。
皮肉な言い方をすれば、躊躇なく人殺しをできる精神の持ち主が、ニュータイプだ……ともいえる。
富野監督の発言で、もっとも気になったのは、
今の7、8歳から12、3歳までの子が、その年齢で、このプーチンの戦争というバカみたいな現実を見ているんです。つまり、今の子たちが30歳ぐらいになったときに、新しいレベルのニュータイプになっているかもしれないと思うわけです
という部分。
いやいや、それはないでしょ。むしろ逆で、圧倒的な武力を持っていれば、簡単に侵略できてしまうことを示してもいる。そして、強いリーダーは民衆に支持されるし、自分が正義だと言い切れる。それに憧れる子供たちだって、少なくないと思うのだ。
子供の目線で見れば、プーチンの戦争はバカには見えていない。特に、ロシアの子供たちにとって、プーチンはヒーローなんだと思う。かつての「ヒトラーユーゲント」のように。
武力は正義……と言えなくもない。
戦車や戦闘機は「カッコイイ」ものに見えるのが、子供の感覚だ。人殺しの道具としては見ていない。メカとしてのガンダムを「カッコイイ」と見る、ファンの目線も子供と一緒。殺戮兵器として、リアルに人が死ぬのを想像したりはしない。
ガンダムの功罪のうち罪は、戦争をカッコ良く見せてしまったことだと思う。アニメなのに「死」をリアルに感じられるストーリーはあったが、それすらも美談になっている。
ウクライナ戦争は、ロシアが敗退して終戦……とはなりにくい。ウクライナは武力でロシアを圧倒することはないから、延々と武力闘争が続くことになる。通常兵器では互角になったとしても、ロシアは核兵器を持っている。問題は、いつ核兵器を使うかだ。
最悪のシナリオは、ロシアが核兵器を使うことだ。
終戦のシナリオとして、ありえそうなのはプーチンが暗殺されることではないかと思う。ロシアの内紛が、戦争終結への最短距離だろう。
和平交渉ではなく、一発の銃弾が解決するかもしれない。
繰り返すが、戦争の中からニュータイプは生まれない。