安保法制を巡り、野党や反対派はこの法律が「戦争法案」であるとか「徴兵制の復活」と、やや飛躍しすぎな論調を展開している。
憲法との絡みから微妙な問題ではあるが、憲法は言葉としては曖昧な表現をしているため、そこに「解釈」の余地が生まれる。それゆえ、解釈の違いが問題をややこしくする。
憲法9条があったから、日本の平和が維持されてきた……というのは、結果論であって必然ではなかった。9条を神格化するのはどうかと思うし、日米安保が少なからず日本を守る盾と傘になったことも事実だ。
じつのところ、日本が平和だったのは、世界のパワーバランスが日本の周辺では運良くいい方向に転んだだけに過ぎない。日本にとっては、戦争のない70年だったが、世界の各地では紛争や戦争は絶えず続いていた。世界中を巻き込む大きな戦争にならなかっただけだ。
日本人は、「戦争」というと第二次大戦のような世界的な戦争をイメージする。しかし、実際には限られた国や地域での戦争の方が多い。アメリカはあちこちの紛争に首を突っ込むから、常に戦時中といってもいい状況だ。ただ、アメリカ本土が戦場になっていないだけ。それゆえ、911でアメリカ本土がターゲットになったのが衝撃的だったのだ。
日経ビジネスオンラインで、奥山真司氏が地政学の観点から連載しているシリーズが、なかなかに興味深い。「戦争と平和」を考えるとき、視点のひとつになるように思う。
本連載が扱っている地政学、とりわけ古典地政学の考え方は、きわめて重要であるにもかかわらず、批判を招くことが多い。その見方がシンプルすぎると思われているからだ。
典型的な批判は大きく2つある。
1つは、「地図が示す2次元的なものに発想が拘束される」というものだ。具体的には、「エアパワーが本格化してきた1940年代以降、“ランドパワー vs. シーパワー”という地政学的な構図は時代遅れになっている」という批判だ。
そしてもう1つが、「地政学は国際政治のダイナミックさを考慮に入れていない」というもの。地政学は動きのない「地理」にばかり注目しているので、現代のグローバル化した動きのある国際政治の状況を捉えきれていないのでは?というものだ。
これらの批判にはそれぞれ一理ある。しかし本稿では、古典地政学の視点から、このような批判がやや「的外れ」であることを説明したい。「面」と「線」というキーワードを元に、最近の国際政治の動き、とりわけウクライナ危機や「イスラム国(IS)」の台頭を例に考えてみよう。
詳しくはリンク先を参照して欲しいが、平面的なものの見かたという点については同感だ。
人間は飛行機で空も飛べるし、人工衛星から大地を俯瞰することもできるし、ネットで距離に関係なく世界とつながることもできる。なんだかスーパーマンになったように錯覚してしまうのだが、ひとりの人間として把握できる世界は、肉眼で見渡せる範囲だけだし、実感として感じられる世界は、手の届く範囲であることは、アウストラロピテクス(約400万年前)の時代から変わってはいない。
世界は3次元……縦・横・高さ……なのだが、自分の身長以上の高さ方向に関しては視野から外れることが多い。そこまで注意力が向かないからだ。慣習的に人は平面的なものの見かた、考えかたをしてしまう。せいぜい高さ2~3メートルくらいの範囲を、平面として捉えている。
そういう感覚的なことからいえば、地政学はそれほど古典的でもない。近代化した現代でも、人の意識は平面的にものごとを見ているんだ。
そして、7月15日付の記事では、大胆な説が述べられていた。
日本が関わる戦争は将来100%起こる (4ページ目):日経ビジネスオンライン
私見であるが、この分野で最も深い考察をしたのは、おそらくヒデミ・スガナミという日本出身の英国の学者であろう。スガナミは1996年に書いた『戦争原因論』(On the Causes of War)の中で、「科学的に見て、戦争の原因に関する統一見解は存在しない」と結論づけている。戦争の専門家にもその原因は不明なのだ。つまり「人類は戦争の勃発を防ぐ方法をまだ発明していない」のである。
また、ここで強調しておきたいのは、「平和が戦争の原因になる」ことだ。なんとも矛盾した考えに聞こえるかもしれないが、平和な状態は経済発展を促すため、それが国力のバランスを崩し、戦争につながると見ることができる。
「平和が戦争の原因になる」という視点は、なるほどと思った。
戦争は、人の命と蓄えた富を浪費することだともいえる。戦争の規模は、人口と財力に左右される。大きな戦争に発展するためには、多くの人々と経済力がなければできない。地域紛争が限られた地域と小規模な戦闘に留まっているのは、人口が少なく貧しいからでもある。
経済的な指標として、GDP(国内総生産)がある。
2014年の一人当たりのGDPを示した地図が以下。
国の国内総生産順リスト (一人当り為替レート) – Wikipedia
この地図を元に、濃淡を反転させると……
濃いところは、貧しい国々であり、紛争地域と重なる。
逆に薄いところは豊かな国であり、平和な国であり、「大きな戦争」を起こせる地域でもある。
こうして見ると、日本、ヨーロッパ、アメリカは潜在的危険地域ともいえる。
これを見て、あるものを連想した。
地震の原因を説明をするときの、プレートテクトニクスだ。プレートとプレートがぶつかり合う境界面で地震が起こる。地政学的にいえば、国と国の勢力がせめぎあう境界線だ。
日本の周りの国のプレートがどうなっているかを、模式図にしてみると……
だいたいこんな感じだ。皮肉にも、大陸のプレートと似ている。日本は3つの大国のプレートがぶつかりあう場所に乗っかっている。
現状は、微妙なバランスを保って平和を維持できているが、各国のプレート圧力が変われば、どちらかの方向に傾いてしまう危うさがある。
「平和が戦争の原因になる」説をもとにするならば、戦争をしにくい状況を作ればいいということになる。それは次の2点。
(1)人口を減らす
(2)富を減らす
少子化が問題になっているが、戦争抑止の点からいえば人口が減ることは利点だ。特に、兵士となる若い世代が減ることは、戦力が低くなることにつながる。
景気回復はしないほうが、戦争抑止になる。不景気で国が貧乏になれば、軍事費に割ける金額も減る。昨今の兵器はべらぼうに高くなっているから、軍事費が減ればF35なんか買えない(^_^)。
アメリカが紛争地域への介入を渋るようになったのは、不景気による軍事費の削減や軍備縮小がある。また、移民国家であるため外部からの流入があり人口は増え続けているものの、出生率は2.0を切って減少に転じているのも遠因だろう。特に白人系の出生率の低下が著しい。国内問題がやっかいなため、国外での軍事行動まで手が回らない状況。
つまり……
安保法制反対、戦争反対のためには、少子化推進、景気対策反対を訴えた方が、戦争抑止にはいいかもしれない!
新国立競技場の巨額建設費が問題になり、白紙撤回してもっと安上がりの施設にするようなのだが、これは逆効果ではないか?
むしろ、平和目的のための競技場に2500億円使う方が健全で、安上がりにしてしまうと、浮いた分が軍事費やその関連に流れてしまうかも……。
戦争をさせない、戦争ができない国にするには、平和目的のために競技場や箱物にじゃんじゃん税金を使った方がいいように思う。逆説的にはね。