政権交代を唱える、新「立憲民主党」だが、やる気を感じないんだよね。
かつての民主党が政権を奪取する前は、やる気を感じたし熱量は大きかった。それだけ国民は期待していた。
しかし、現在の新「立憲民主党」にはそれがない。
代表の枝野氏の発言や行動を見ていても、覇気のなさが目立つばかり。
「枝野幸男代表」初街宣は閑散 「菅総理」批判も内容は不明瞭で… | デイリー新潮
「枝野氏は、デジタル化政策ばかりを唱える菅義偉総理を批判し、自然エネルギー立国を宣言。デジタル化に加えて自然エネルギーをと言いたかったようですが、デジタル化を批判しているかのように捉えられ、逆に批判が起こってしまった」
有権者と直接顔を合わせるという意味では、街宣に多少の意味はあるのかもしれないが、たかだか数百人の前で演説したところで、それがなにになるんだろうと思う。新「立憲民主党」は数百人のための政党なのかと思ってしまう。
それが政党支持率4%という低さに出ている。
新党なのにこの低さは絶望的だ(^_^)b
支持率というより、期待値の低さを表しているともいえる。
枝野氏をはじめ新「立憲民主党」の議員たちは、政権交代を口実にして自分たちの保身をしているだけのように思える。
議員バッジと議員の特権を失いたくないのだ。
野党は「反対」と叫んでいればいいのだし、自分たちが政権を運営して、政策を実行し責任をまっとうするわけではない。選挙で頭を下げ、当選したら議員席に座って居眠りしていても議員報酬はもらえる。採決では数が足りないから負けることは決まっているし、公約を実現できなくてもペナルティがあるわけじゃない。
「国民の声を聞く」とはいうものの、その結果が、党名も変わらず党首も替わらないのであれば、聞く耳を持たないことを証明したようなもの。
政権を取る気がないんだ。
国民がなにを求めているのか、一番わかっていないのは新「立憲民主党」だろう。
こんな政党に政権を託したいと思う人は4%の少数派だ。
万年野党でいる方が、彼らには楽なんだろう。
なまじ政権を取ると、旧民主党時代のように、批判の矢面に立ち責任を取らされる。
それよりは、矢の飛んでこない野党の方がいいわけだ。
街宣などという旧態依然のことをやってること自体が時代遅れだ。
当人には「やってる感」はあるのかもしれないが、その場にいない者にはなにも伝わらない。
おそらく枝野氏は、本音では政権交代は無理と思っているのではないか?
政権交代できるとマジで思っているとしたら、「裸の王様」状態だ。
デジタル化の推進に賛成ならば、街宣というアナログな方法ではなく、ネットで生配信して全国の有権者に向けて演説するとか、もっと時代に合ったやり方をやってみればいい。それをやって視聴者が集まらないと、それはそれで悲惨ではあるが。
「自然エネルギー立国」などと、聞こえのいいスローガンを掲げてもむなしいだけ。
どうやってそれを実現するかのロードマップや設計図がない。口先だけのたわごとだ。
その実行には政権を取ることが必要……というのであれば、実現は不可能といってるようなもの。
言うだけならタダだからね。
立憲民主党という党名も枝野氏も、賞味期限の切れた食品みたいなもの。その賞味期限の日付を書き換えて、再度店頭に並べている悪質業者だ。
自分たちの都合しか考えていない。
「衆院年内解散、首相が見送りの公算…コロナ対策に全力」とのニュースも出ているので、新「立憲民主党」はホッとしているのだろう。いま選挙をやったら、惨敗することは目に見えているから。来年になれば情勢は変わるかもしれないが、新党という鮮度はなくなり、より厳しくなるようにも思う。
自民党がいいわけではないが、あえて愚者のカードを引くほど、国民はバカではない。
腐った魚は、誰も買わないよ。