日本の家電メーカーが浮上できない理由

アメリカで開催されたCESのレポート記事が、各紙、各サイトに掲載されている。
それらの記事をつらつらと読んでいて、いくつかの記事を合わせてみると、日本の家電メーカーが浮上するためのヒントがあるように思う。

スマート家電の前に取り組むべき課題がある:日経ビジネスオンライン

 米ラスベガスで開催された国際家電見本市「コンシューマー・エレクトロニクス・ショー(CES)」。その名称に冠された「Consumer Electronics(コンシューマー・エレクトロニクス)」は、日本語に訳すと「消費者向け電気製品」、すなわち家電製品のことであるが、日本で言われる家電とは少し意味が異なる。

米国でコンシューマー・エレクトロニクス、あるいは単にエレクトロニクスという場合は、一般的にテレビやオーディオといったAV(音響・映像)機器、いわゆる「黒モノ」家電を指し、洗濯機や冷蔵庫といった「白モノ」家電は、「Home Appliances(ホーム・アプライアンス)」と呼んで区別している。

(中略)

パナソニックは、日本国内市場ではエルーガという名前のタブレットやスマートフォンを発売しているが、海外では販売していない。スマート家電でキーになるガジェットのスマートフォンがそもそも海外市場にはないのだ。

この記事は、日本にいるとわからないアメリカの状況がよくわかる分析になっている。
パナソニックのすすめる「スマート家電」は、スマホやタブレットを「リモコン代わり」にする発想だが、肝心のスマホが自社製ではなく、アメリカではiPhoneやiPadを使うしかないというのが情けない。

極端な話、「テレビはスマート家電ですが、スマホはiPhoneを買ってください」と他社製品を販促しているようなものだ。現状のテレビで「リモコンは別売り(ただし他社製)」という売り方だ。そんなんじゃダメだろう。

スマート家電の「スマート」の意味を、根本から考え直した方がいいように思う。その一例が、「タコ足配線とおさらば…新方式のワイヤレス電源」で取り上げた、ワイヤレス電源だ。電化製品から電源コードをなくすという「スマート家電」というか「スリム家電」だったら革新的だ。

「スマートフォンの時代は終わる」:日経ビジネスオンライン

 今のネットに欠けているのは、時間の概念です。そもそもネットを記述するプログラムには、更新日時を記録する「タイムスタンプ」の機能がありません。ネット上に、ありとあらゆる情報が蓄積されるようになったにもかかわらず、いまだにグーグルで検索した結果を時間軸で並べ替えることができないのは不自然です。今後、時間という概念を取り込むために、ネットを作り変えようとする動きが加速するはずです。

同様に、今のネットにはリアルタイム性が不足しています。「ツイッター」などのサービスは興味深いものですが、まだまだリアルタイム性は不十分。今後、金融や医療、セキュリティー、ゲームなどの分野では、様々なデータベースを基にリアルタイムに情報を処理するニーズが高まるはずです。

こういう先見性のある経営者が、日本にもいるんだね……と、少しホッとするような記事。近未来の読みとしては的を射てると思うが、問題はその先見性を具体化した製品なりサービスを実現できるかどうかだ。

現状のネットに「リアルタイム性が不足」というのは確かなのだが、逆にいうとリアルタイム性のなさ……つまり「タイムシフト性」によって成り立っているともいえる。
Twitterは比較的即時性はあるものの、ちょっと過去のツイートをあたかも「今」のように感じられるタイムシフト性で話題への「共有感」を演出している。
私の記事を読んでいる人も、投稿直後に読む人と、しばらく月日が経過して読む人がいるわけだが、時間的な隔たりがあっても、読む人にとっての「今」が過去の私とシンクロしている。時間軸の異なる書き手と読み手が交錯しているのが、現在のネットの魅力であり面白さでもある。

テキストベースの情報は、リアルタイム性よりも過去の蓄積に意味があるわけで、情報を発信する人は、「今」に向けてではなく「未来」にむけて発信していることになる。
発信者と受信者のタイムラグを最小限にするとなると、テキストベースでは無理なわけで、カメラや音声による「ライブ」が主体になる。

そうなるとネットに常時つながって、ライブ映像を見たり、自分からライブ映像を発信するような状況が考えられる。
アニメの「攻殻機動隊」や「電脳コイル」、映画の「マトリックス」といった作品に、そんな電脳世界の描写があるが、デバイスを体内に埋め込むか電脳メガネのように常時装着するものになるのかもしれない。メガネ型デバイスはGoogleが開発しているが、はたしてスマホの次の新しいデバイスになれるかどうかは未知数だね。

「今年は完全に韓国を出し抜きました。技術ではね……」:日経ビジネスオンライン

日本でのスマートテレビの評判は、あまり芳しくありません。実際のところ、消費者もそのメリットがよく分かっていませんよね。

麻倉:これまでも「IPTV」や「インターネットテレビ」というものがありましたが、それらはおそらくネットフリックスのような映像配信サービスのようなものでしょう。これに対してスマートテレビというのは、もっと広範でたくさんのサービスがテレビを通して展開されると考えれば分かりやすいでしょうか。それが2011年、2012年の流れです。私は最近こう言っています。「スマートテレビ」では意味不明だから、「サービステレビ」と呼ぼう。かっこよく「マルチサービステレビ」も良いぞ、と。

(中略)

もはやテレビにおいてハードとサービスはクルマの両輪です。4Kで有機ELといっても最初はその美しさに驚きますが、人間はすぐに慣れてしまいます。ネット接続による“スマート”の部分での発想が問われているのです。視聴履歴に基づいて、放送コンテンツやネットコンテンツの中からお薦めするクラウド連携サービスなど、今年もいろいろ面白いものが出てきています。それらを研究しながら、サービス面での提案力を磨くことです。

スマートTVではないが「ひかりTV」をしばらく視聴していた。NTTから猛烈な売り込み電話がかかってきたからだ(笑)。
特に興味はなかったのだが、無料期間内であれば返品できるということで、とりあえず機器を借りた。
結論からいうと「つまらなかった

第一に、コンテンツが貧弱だった。ネットにある動画サイトからコンテンツを持ってきているので、目新しいものはなく、しかもフルハイビジョンで再生できない番組も多かった。これじゃパソコンで見るのと変わらない。
有料番組はCSやBSからコンテンツを持ってきているのだが、ケーブルテレビを契約しているわが家には重複しているので意味がない。定額料金ですべての番組が見られるとかいうメリットがないと、わざわざひかりTVにする理由がない。

第二に、操作性が悪かった。
番組をチョイスする手順が面倒くさくて、どこになにがあるのかわかりにくい。いくつかの階層を辿っていかないと、目的の番組に辿り着けない。その手間がかかりすぎる。
そんなわけで、「ダメだこりゃ」と機器を箱に戻して返品した。

4Kテレビというか4K表示のディスプレイは、必然的に普及すると思う。テレビ局の作る番組がくだらないとしても、4Kテレビの価格が安くなって、現在の2Kテレビ並みになれば、スペックがどうとかは関係なくなるからだ。

テレビはコンテンツがなければただの板だが、テレビ局や映画会社だけがコンテンツを提供できるわけではない。You Tubeがそうであるように、アマチュアによるコンテンツはこれからの主流になりえる。4Kカメラが普及して、ネットで4K画質を配信できるようになるのは、必然の進化だろう。それが当たり前になったとき、4Kであることを意識することはなくなっているはずだ。今でも、ハイビジョンを意識することなく家庭用ビデオとして撮っているのと同じこと。
4K時代は遅かれ早かれ来る。

現在は高付加価値のある4Kテレビだが、売れば売るほど4Kテレビは当たり前になっていく。そうなったとき、ハードとしての4Kテレビを売るだけでは、結局同じ轍を踏むことになる。
そうならないためには、メーカーはハードだけではなく、4K映像の配信のためのプラットフォームを提供する側に立っている必要があるように思う。

4Kテレビを総務省が後押しするというニュースもあったが……
4Kテレビ放送、来夏開始 総務省方針「8K」も2年前倒し – ITmedia ニュース

 総務省は次世代の高画質テレビ規格「4K」の放送開始時期について、当初予定していた平成28年から2年程度前倒しし、26年夏の開始を目指す方針を固めた。

いっそのこと、4Kはスルーして8Kに一気に転換した方が、規格競争で優位に立てるのではないかと思うのだが……。
ただ、それでも単純に高画素化するだけでは、行き着く先は見えている。

8Kのテレビなりディスプレイを商品化するにしても、それを使ってなにができるか、どういうライフスタイルを提案できるか、というのが重要だろう。
そこの部分が、日本のメーカーには欠けている。
それについての関連記事が以下。

日本企業は昔のパンパースと同じ間違いを犯している | ビジネス | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 日本ブランドが危なくなって久しい。今では世界に2つとない心躍る製品を生み出しているのはソニーでもパナソニックでもなくアップルであり、アップルを脅かしているのはサムスン電子だ。さらにそのすぐ後ろには、中国勢も迫っている。

(中略)

成長ブランドの創造には人々を感動させ魅了するブランド理念が欠かせないが、それはビジネスマンよりアーティストの仕事だ。フランスの高級ブランド企業、モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン(LVMH)のベルナール・アルノーCEO兼会長はこう言っている。「スター・ブランドは、芸術的で創造的な精神からしか生まれない」

実際、偉大な製品、勢いのある組織、消費者ニーズのいち早い発掘、差別化の上手さなどで優れた企業を思い起こせば、必ずそこにはビジネス・アーティストがいる。スティー ブ・ジョブズはもちろん、その最たる例だ。

(中略)

当時のパンパースはひたすら、吸水性がよくすぐ乾くという利点だけを追い求めていたからだ。品質や機能に重きを置きすぎるというのは、今の日本企業にも共通する問題だろう。いいものは作る。だが他社製品と大して変わらない。

パンパースに足りなかったのは、いかに人々をハッピーにして喜ばせるか、驚かせるか、人生を素晴らしいものにするか、という高次の理念だった。

パンパースと家電メーカーという対比が面白い。
ビジネス・アーティスト」という考えかたは、日本にはないように思う。
4Kなり8Kなりの映像技術があったとして、それを生活の中でどう生かすか。
そういうことを想定すると、「ライフ・アーティスト」とでも呼べるような、新しいライフスタイルや働き方を提案する必要があるような気がする。

8Kともなれば、100インチや200インチでも高精細な映像を映すことができる。それはテレビという小さな箱に収めるにはハイスペック過ぎる。

むしろ、壁全体が映像スクリーンと化し、臨場感のある空間を作り出せるはずだ。テレビ単体としてではなく、「家」そのものに組み込まれた映像装置だ。
ライブ感のあるリアルタイム性で、ここの場所とどこか別の場所を双方向で結べば、自宅にいながら別の場所にいるような仮想環境も作り出せるだろう。
「家」が生活空間であると同時に、「装置」であるようなライフスタイルかな。

サッカーなどのパブリックビューインクで、大画面の映像を介して多くの人がライブ感で盛り上がるような、そんな感覚をプライベートな空間で実現するとか。

昔、テレビの黎明期には、街頭テレビがあり、そのうち一家に一台になり、やがてひとりに一台にと、テレビは個人で見る方向にシフトした。
高画素化は小さなサイズでは恩恵は少ないから、大画面化へと向かうしかない。そうなったら、テレビは個人よりも家族で、友人たちと大人数で……と、複数化していくのかもしれない。その複数化は、テレビの前に実際に複数の人間がいるというだけでなく、ネットを介してバーチャルに集うような形もありだろう。
リアルタイム性とは、他者と同じ時間を共有することでもあるからだ。

……と、楽観的にテレビの未来を夢想してみるのだが、4Kも8Kも必要がなくなる未来というのもありえる。
案外、そっちの方向が正解なのかもしれない。

ちょうどこれを書いている今、ケーブルテレビで「攻殻機動隊」テレビシリーズの再放送をしている。電脳空間が発達したら、「脳」の中が再生装置になってしまう。
まぁ、そこまで行くには、50年やそこらはかかりそうだけどね。

諌山 裕

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