アメリカの人種差別問題は根が深い。
一朝一夕に解決できる問題ではないし、人種という区別がある限り、延々と繰り返されるのかもしれない。
「プレステ」もFB広告停止 ソニー系、ボイコット参加(共同通信) – Yahoo!ニュース
米国での黒人男性暴行死事件をきっかけに、全米黒人地位向上協会(NAACP)などの団体が、FBのヘイトスピーチ対策が遅れているとして、広告をボイコットするよう企業に呼び掛けている。
FBが槍玉に挙がっているが、どういう対策が有効なのかは、技術的な問題も含めて難しいように思う。
他のSNSはどうなのか?
というと、五十歩百歩のようにも思う。
この記事そのものより気になったのは、つけられていたコメントの方だ。
ジョージ・フロイドは前科だらけの極悪人
確かに取り押さえ方の問題はあったと思うが
前科だらけの常習犯という現実を報道しない
メディアはどうにかしていると思う
この人に限らず、こういう論調のコメントは多く見かけた。
「犯罪歴があるから、差別されて(殺されて)当然」……とでもいいたげな主張だ。
犯罪歴があるかどうかと、差別されるかどうかは、まったく別の問題だ。
異なる問題をあたかも因果関係があるかのように結びつけるのは、弱者やマイノリティを攻撃するときの理由づけとして常套手段でもある。
そこに差別意識の根源がある。
犯罪者だから、悪人だから、平等や人権はないのか?
法の下の平等、人権は、そうではないとする考えかただ。
こういう考えかたに辿り着いたのは、人間の叡智だったはず。
キリスト教的価値観からいえば、神に与えられし命は平等でもある。
約2000年前の聖書といわれる関連書の価値観を、後年の人々が解釈しているため、いろいろと矛盾はあるものの、
「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。」(創世記 1.27)
と、この一節が神の下の平等とされる。
ただし、キリスト教の信者に限ってのことなので、他宗教の人は対象外ではある。宗教対立や宗教戦争というのは、「異教徒=悪」という考えかたが原点にある。
中世の時代であれば、罪を犯した悪人、あるいは悪のレッテルを貼られた者は、リンチにされた。魔女狩りは、土着宗教などの異教徒を「悪魔」として恐れたものだ。罪人の家族も同様の扱いを受け、迫害されたりした。宗教的な価値観も絡んで、悪とされた者は社会から排除するか抹殺された。
人種差別の根源には、多分に宗教的な価値観が関与している。
イエス・キリストは神の子という設定だが、信仰の対象にもなっているので、実質的には神の化身ともいえる。
そのイエス・キリストは古代ユダヤ人。厳密にいうと、民族的にはアラブ系あるいは西アジア系に該当するため、ヨーロッパ系の“白人”とは異なる。コーカソイドと呼ぶこともあるが、これはキリスト教がヨーロッパに広まり、宗教の発祥の地である中東との整合性をつける方便として名付けられたものだ。
中世の時代、ヨーロッパの国々は対立しつつも、宗教的にはキリスト教で価値観を共有していた。そういう時代が長く続いて、クリスチャン=白人という意識が根付いた。信仰の対象となるイエス・キリストもヨーロッパ系白人になった。前述したように、ヨーロッパ系の白人ではないのだが。
キリスト教の布教は世界に向けて広がり、アフリカやアジアにまで及んだ。
アフリカへの布教が本格化したのは、19世紀の植民地化時代以降だという。つまり、比較的最近のことである。聖書というかキリストは、ユダヤ地方を念頭に教えを説いていたから、異なる人種のことは考えていなかったと思われる。黒人(あえてこう表記する)や東洋人を信者として受け入れたのは、聖書の拡大解釈でもあった。
黒人のクリスチャンは多いが、彼ら独自の信仰の仕方を生み出してもいる。陽気な賛美歌やゴスペルなどは、その一例だ。本来、神の子として平等のはずであり、教義としては同じはずなのに、相容れない齟齬が生じた。キリスト教は矛盾だらけの宗教になってしまった。
キリスト教は人種差別を解消することはできず、むしろ助長してしまった……というのが、アメリカの現在なのではと思う。
保守的な白人にとっては、黒人は異教徒であり「悪」なのだろう。
多くの日本人は宗教に無頓着だが、欧米人には宗教は価値観の基本だ。そこには良くも悪くも差別的な概念が内包されている。
……と、おおざっぱな背景として、こういうことがある。
冒頭のネットでのコメントに戻ると、フロイド氏が前科者の極悪人だとすることで、彼を差別の象徴として祭り上げることに嫌悪感を示しているわけだ。
もし、彼が前科などない善良な市民であったら、どうだろうか?
反応は違ったものになったかもしれない。
しかし、前述したように、彼の人間性がどうであるかと、黒人ということで差別的扱いを受けることは、別の問題だ。
それを「別の問題」と、分けて考えられないのが差別的な発言をする人たちのロジックとなっている。
つまり、差別対象を差別する理由をこじつける。フロイド氏の場合は、黒人で犯罪者であるという理由づけだ。犯罪者であることを強調して、黒人を差別しているわけではないと自己を正当化する。
これは日本国内でのヘイトスピーチでも同じだ。
韓国人に対するヘイトスピーチでは、韓国での日本に対する反日的な言動や行動を、すべての韓国人が同一であるとみなしてヘイトする。日本で生まれ育った世代は、日本語を話し日本人と変わらない生活をしているが、ルーツが韓国というだけで反日のレッテルを貼られる。かつて、太平洋戦争中に、アメリカに移民した日本人が、日本人というだけで収容所に入れられたのと同じだ。
差別とは、あるカテゴリに属する人たちに向けられる敵意だ。
それが「黒人」であり「韓国人」であり、いま問題になっている「新型コロナ感染者」であったりする。
個人としての人間を見るのではなく、カテゴリとしての集団を「敵」とみなして、攻撃したり排除したりする。
そう、差別とは敵意なのだ。
差別をなくすということは、敵意をなくす、あるいは敵意を持たない、ということでもある。
しかし、これは不可能に近いくらい難しい。
人間の本能に、闘争心が組み込まれているからだ。
それを理性でコントロールできればいいが、平等の理念が生まれたのを、フランス革命(1789年)とするならば、231年しか経っていない。紀元前3500年前ごろのメソポタミア文明以降18世紀まで5200年あまり、人間社会には平等は存在しなかった。強者が弱者を支配する時代が長く続いた。社会的価値観は、そう簡単には変わらないというのが歴史だ。
根本的な解決には、世界的な混血が進むことが必要かもしれない。
日本人は単一民族なのではなく、南方系、北方系、大陸系と異なる民族が古代の日本に辿り着いて、混血を重ねていった結果が、現在の日本人だ。ようするに雑種。江戸時代は400年にわたって鎖国していたから、外国人の血が入ることなく、閉じた環境で混血が進んだ。
アメリカは人種のるつぼともいわれるが、1000〜2000年経った頃には、雑種化したアメリカ人になっているかもしれない。日本人のように。
人類の叡智として、差別問題を解決できればいいのだが、小さなコミュティなら可能なことでも、数千万〜数億人の社会を束ねるのは至難の業。
人間は、個人としては賢くなれるが、集団としてはそこまで賢くないということでもある。