変な校則、理不尽な校則、差別的な校則は、たびたび問題になる。
校則問題で多いのは、頭髪に関する規則だ。
髪は黒でなければならないらしい。黒以外は認めない校則。
黒くないからと、教師たちが生徒の髪を強制的に黒く染める学校もあるようだ。
高1女子の髪は「色が目立つ」、女性教諭ら4人がスプレーで黒染め : 国内 : ニュース : 読売新聞オンライン
千葉県の県立高校1年の女子生徒が今月、頭髪の色が目立つとして繰り返し学校から注意を受け、校内で教員らによりスプレーで髪を染められる指導を受けていたことが29日、分かった。女子生徒は中学時代に髪を脱色していたという。県教育委員会は「本人の同意を得ている。適正な指導だった」としている。
この強制に至った経緯として、生徒が再三の注意を無視したらしいというのがあるにしても、実力行使を正当化できるのだろうか?
これは人権侵害だと思うのだが?
この記事に対するヤフコメの反応を見ると、教師側の行動を当然とする擁護論が多いことに驚く。
悪いのはルールに従わない生徒の方だと。
校則に従わない生徒には、問答無用で強制執行をしてもいいという理屈が成立するのだろうか?
教師に取り囲まれて、「いいな?」と詰め寄られれば「はい」と答えてしまうだろう。それを「同意」とはいわない。
これは、教師による生徒に対するリンチのようなものだ。
こんなことが許されてもいいのか?
イジメはいけないといいつつ、教師が生徒をイジメてどうする?
校則よりも憲法で保障されている人権の方が上位にあるはずで、憲法よりも校則が優先されるという考えかたが間違っている。
基本的人権を無視した教師。
校則を無視した生徒。
どちらが、より罪深いのか?
そもそも、髪が黒でなければいけない校則というのが、差別的である。
「目立ちすぎる」というが、目立つことがいけないことなのか?
その理屈でいけば、肌は肌色※(薄茶色またはベージュ)でなければいけないとか、身長は180センチを超えてはいけないとか、目の色は黒くなければいけないとか、俗に言う「日本人らしさ」とルールを当てはめることだってできてしまう。
※かつて、色鉛筆などの色名に「肌色」というのがあった。現在はなくなっていると思うが。
外国人との混血でなくても、髪が赤毛の人もいるが、そういう人にも髪を黒く染めるように指導する学校もあるという。
なぜ黒髪でなければいけないのか?
髪を茶髪などに染めると不良になると考えるのは、日本特有だろう。
肌が色黒だったら、黒すぎて目立つから、白く染めろというのだろうか?
あっ、これは大坂なおみ選手をモデルにしたアニメ表現でやってたね。
なぜ、日本では同質化を求めるのか?
教育理念として、多様性とか個性を延ばすとか、建前に掲げられるが、やってることは同質化であり没個性だ。
みんなと一緒……という、同調圧力に従順な日本人。
アメリカでの人種差別が大きな問題になっているが、日本の差別意識は「日本人らしさ」という固定観念からくる「日本人らしくない」ものの排除として表れている。人種の違いほど顕著ではない、わずかな違いを神経質に差別するという陰湿なものだ。
この差別意識は、新型コロナ問題での感染者への差別としても表れている。
同質化を過度に求めるというか、同質であることが正しいと思い込んでいるから、ちょっとでも異質だと拒絶と排除に働く。
日本人の良さとしてあげられることに、(1)規律正しい、(2)協調性がある、(3)礼儀正しい……といったことがある。
しかし、これらの良さは、同質化、同調圧力のたまものでもある。
同質から外れた者、同調しない者、外国人に対しては、差別や攻撃の口実になってしまうのだ。
たかが校則という些末な問題ではなく、その背景には日本特有の偏見や差別意識が潜んでいる。
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Blogosで拝読しました。全く同感です。
その上で、校則というのは、その内容以前に形式としてもどうなのかと思います。
少なくとも「誰がどういう検眼に基づいて決めたのか」と「改正の手続き」、この二つが当該校則内に明記されていなければ、それはルールの名に値せず、勅語ど同じだと思います。
しかも件のニュースは県立高校の事例ですから、黒髪が嫌なら入学しなければいいという主張は、そもそも何のために県立高校があるのかという目的からも大きく外れています。