Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 多くの人がスマホを持つようになり、駅のホーム、電車の中、さらには歩きながらでもスマホを手にしている人は多い。
 そこまでしてスマホに見入るのは、もはや中毒、依存症なのだろう。
 スマホを見ていると、周囲のことは見えていないから、他人と接触したり、突然立ち止まって通行を妨害したりは日常茶飯事になった。
 最悪は事故に遭遇してしまうことだが、スマホ依存症の人たちには危機感が乏しい。

 そんなスマホ依存症の自己診断が以下らしい。

もはや中高年にも珍しくない……あなたの「スマホ依存度チェック」! | THIS WEEK – 週刊文春WEB

 以下、中島教授作成の「スマホ依存度チェックリスト」でチェックしてみてほしい。

□スマホを忘れると、会社を遅刻してでも取りに帰る。

□スマホがないと時間を潰せない。

□スマホに触れているだけで落ち着く。

□何の目的もなくタッチパネルをいじってしまう。

□電池が切れるのが怖いので、充電器を持ち歩いている。

□トイレやお風呂にもスマホを持っていく。

□目の疲れを感じたり、肩や首が痛くなってもスマホを使い続けてしまう。

□スマホが原因で睡眠不足になったことがある。

□友人や恋人と会っている時でもスマホを触ってしまう。

□しゃべるよりもチャットやツイッターの方が楽だ。

□スマホに名前を付けたり、デコレートしている。

 いやはや、私は1つも該当しない(笑)
 持っているiPhoneは、もっぱら音楽を聴くためのもので、イヤホンを差しているときにメール着信の音がなっても、しばらくは放置している。着信を確認するのは、メールを見られる状況になったときだ。

 コンピュータとのつきあいは長く、世間にパソコンが登場する以前からだ。記録メディアが紙テープだった時代までさかのぼる。当時は高校生だったが、コンピュータが専攻だったので、かなり早い時期からのコンピュータ世代だ。
 その後、個人が使う小型コンピュータが登場した。当初は「マイコン」と呼ばれていた。のちに「パソコン」と呼び方が変わったが、その黎明期から所有し使ってきた。
 その頃のパソコンのスペックは、CPUのクロックが10~12MHzとかそんなレベルだ。ハードディスクは存在せず、5インチのフロッピーディスクにシステムが入っていた。
 ネットは存在していなかったから、パソコンは孤立無援の環境だった。

 その後、パソコン通信が始まり、一世を風靡した。
 メールはその頃から使っていたし、チャットもできるようになった。現在のメールも、基本的には変わっていないし、Twitterはチャットの発展系だ。
 サービスとしては新しいTwitterやSNSだが、原型はパソコン通信の頃からあったものだ。ただ、昔はクローズドの世界だったというのが、一番の違いだ。

 インターネットが普及して様相は変わってきたが、テキストベースであることは変わっていない。コンピュータの発展とともに歳を重ねてきたから、なにをいまさらという感じで、スマホであっても特別なものとは感じない。
 ただの道具だ。
 いろいろできるようになって、昔に比べれば魔法の小箱とはいえるかもしれないが、どう使うかは使う人しだい。

 厳密に言えば、「スマホ依存」というのは違っている。
 依存しているのは、メールであったり、Twitterであったり、SNSだったりのネットを介したコミュニティの方だ。
 ネットに接続する端末が、スマホになっているというのが正しい。
 スマホがなかった時代には、ネットのサービスにアクセスするのはパソコンだった。ネット中毒という言葉もあったが、パソコンは持ち歩けないから、その当時は家にこもる依存症だった。

 スマホは持ち運びが容易になったから、四六時中スマホに没頭してしまう。
 外に出歩いているから、家にこもるネット中毒より健康的かというと、そうともいえない。スマホの画面に見入っているとき、それが家の中であろうが電車の中であろうが、当人はスマホの画面を通してバーチャルな世界に没入している。
 場所は関係ない。
 いつでもどこでも、意識はネットの中にあるもうひとつの世界にいる。
 ある意味、夢遊病と似ている。意識はリアルな現場にはなく、画面を通してバーチャルな世界にある。

 そこまで依存してしまうのは、「免疫」がないからだろう。
 かつて、テレビが登場したとき、物珍しさも手伝って、誰もが夢中になった。三種の神器といわれて、テレビはステータスのひとつだった時代もあった。
 私が子どもの頃は、「テレビを見過ぎるとバカになる」といわれ、1日にテレビを見る時間を学校が制限していた。今にして思えば、バカバカしい話。
 スマホ依存症の人たちを見ると、昔、テレビに夢中になっていた頃の人々を思い出す。あれはテレビ依存症の時代だったのだ。当時は、そういう言葉はなかったが。

 だが、現在ではテレビは当たり前の存在になり、テレビを見ない人も増えている。もはやテレビがなくても困らないという人は多いだろう。
 テレビに飽きた、あるいはテレビに免疫ができてしまったからだ。
 スマホは依存者が出てくる過渡期にある。
 5年、10年経ったら、スマホではない、なにか別のものが新たな依存ツールなっているかもしれない。
 22年前に、現在のようなスマホブームが予見できなかったようにね。

諌山 裕

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