最近よく目にする「地雷系メイク」という言葉。
最初に聞いたときから、違和感というか不快感を感じていた。
メイクがどうとかではなく、「地雷」という言葉に対してだ。
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「メイク動画」は女性YouTuberの定番ジャンル。なかでも最近、YouTubeの急上昇ランキングにもランクインし、注目されているのが「量産型メイク」と「地雷系メイク」だ。
(中略)
そして「地雷系(地雷女)」も、古くからネット上で使われている言葉ではあるが、もともとはメイクや見た目の話ではなく、一見可愛いけれど交際してみたら、愛情の重さ故に苦労するタイプの女性を指す言葉だった。その後、「推し」や「担当」に重たい愛情を注ぐ(or注ぎたい)タイプの女性が、あえて「地雷」を自称することが増えてきたように感じる。
「地雷系メイク」と呼ばれる由来なんかどうでもいいのだが、「地雷」と名付ける感覚が無神経だな、と思う。
地雷とは、殺傷兵器である。
そのことは誰でも知っているだろうし、「地雷系メイク」の意味合いとして、兵器の地雷を重ねてもいる。おそらく、自虐的な意味合いを爆発兵器である地雷に例えたのだろう。
その軽さが、不快なんだな。
平和ボケの日本では、戦争は遠い過去のことになっているが、世界のどこかで今も武器を手に戦っている人々がいる。
地雷は古典的な兵器だが、安価で使いやすいことから、今でも使用されている。
兵士ではない一般市民も、地雷により多く亡くなっている。
地雷の基礎知識(2020年最新版) | 国際交流NGOピースボート
2018年の1年間に判明しているだけで50の国と地域で6,897人が被害にあいました。そのうち、3,059 人が死亡し、3,837 人は負傷、1人は不明です。被害者の71%は戦争と関係ない市民で、そのうち54%は子どもでした。
(中略)
1999年から2018年の20年間に報告された被害者数は世界で13万人以上にのぼります。
地雷で手足をなくした人たち、家族を亡くした人たちの前で、
「これが地雷メイクで〜す」
と、自慢げにいえるか?
海外で「原爆メイク」なんて表現が出てきたら、日本人は猛抗議するだろう。過去には「原爆なんたら」とか、原爆をジョークにした事例はあった。そのとき、日本人は不謹慎と怒った。
ちなみに、広島に落とされた原爆で、9万〜16万6千人が直接的に死亡したとされている。
地雷による20年間の死亡者数は、13万人以上ということで、長い年月がかかってはいても、原爆に匹敵する被害を出している。
そういう意味でも、軽々しく扱っていい問題ではないと思う。
地雷を茶化した「地雷系メイク」なんていう言葉も、不謹慎ではないのか?
私が神経質すぎるのだろうか?
だとしても、不快だということは表明しておきたい。
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誤解されているようですが、そもそも「地雷メイク」は差別語にあたりませんよ。差別語というのは、直接に他者の人格などを貶めるものというのがその定義ですから。
本文をどう読んでも牽強付会、単にあなたが「地雷」という兵器を不快に感じているだけに過ぎません。兵器はもちろん好ましいものでもないし、また今回の事例が軽薄でないとも思いませんが、だからといって社会的に不使用を公然と求めうるほどの正当性があるかといえば、全くないでしょう。
そもそも、
>地雷で手足をなくした人たち、家族を亡くした人たちの前で、
>「これが地雷メイクで〜す」
>と、自慢げにいえるか?
こういう極端な例を出すのは悪手。およそ大多数の良識ある人は、例えば不妊で悩む人を目の前にして嬉々として自分の赤ん坊自慢はしないものですし、ましてや「幸せそうな家族ドラマは放映するな」だの「おむつのCMは自粛しろ」だのと声高には主張しないものです。仮にそのような配慮ができない人を社会的に軽蔑する自由を我々は持っているのであって、その理性に委ねるべきことがらのひとつです。あしき可能性でもって予め言葉の存在を排除するというのは、言語に関する優性思想であって、これに加担してどこかの歴史上の独裁者のようなことは言い出すべきではないのです。
今回の主張が仮に正当だというのなら、例えば「受験戦争」という言葉に対しても「人が誰も死なない事態に対して軽薄に悲惨な事実をあてはめている」「戦争の被害者の前でその言葉を言えるのか」などという非難が同様に成り立つことになりますが、いかがでしょう。私はこんな言葉をほぼエンドレスで思いつくことができるのですが。現実に多くの自称人権団体がそういう独善的な問題提起をして自分たちの権益を拡大しようとしてきた歴史があることもまた想起されるべきでしょう。
ばんくしーぷさんへ。
私は、「地雷メイク」は差別語とはいってないですよ。コメント欄で取り上げたのは、一例としてです。
また、「社会的に不使用を公然と求めうる」ともいってません。
私は違和感があるといっているだけです。
「受験戦争」については、かつて問題視されていたと記憶しています。扇情的だとして、最近では使われなくなっていますしね。
大多数の良識のある人は……というのは、ある意味、危険でもあると思います。
なにが良識かを多数決で決めていいのかどうか。
絶対的な良識というのが存在しないとなれば、多数派の意見が良識とされます。
不適切な言葉でも、多くが支持すれば、良識になってしまいます。
私は排除しろともいってません。
違和感があり不快だと、意見表明しているだけです。このブログは、ただの個人ブログですよ。社会的影響力は皆無です。
ただね、誰かがそういう発言をしないと、みんなが使うから問題ないと、無神経になりませんか?
「別にいいじゃん」というのなら、使えばいいのです。
適切かどうかは、社会と時代が判別していくのでしょう。
そんなん他にもたくさんありますよw
じゃあプロレスのミサイルキックもだめじゃないですかwww比喩的に兵器の名前がついてるのなんて腐るほどあるww地雷だけに違和感を感じるのはおかしいww新しい言葉だから違和感を感じているだけだと思いますよ。
そのとおりです。
腐るほどあっても、誰も問題にしない世の中なのですよ。
現在では差別用語に分類されている言葉も、かつては普通に使われていました。
それが差別だと認識されるようになったのは、社会の変化によるものです。
腐るほどあるから使ってもいい……という理屈にはならないと思いますよ。