禅問答みたいな話だが……
欠けた視点を指摘する主張に、欠けた視点があるという、ループのような問題。
セブンイレブン等のコンビニの24時間営業についての話題。
「セブンは24時間営業やめろ」と無責任に主張する人に欠けた視点(佐藤昌司) – 個人 – Yahoo!ニュース
確かにオーナーを搾取することは許されることではないし、オーナーの処遇は改善されるべきだとは思う。ただ、「24時間営業をやめろ」という主張に筆者は全面的に同意できない。もしセブンが「24時間営業の看板」をおろしてしまえば、多くの人が不幸になると考えられるからだ。
(中略)
セブンを含めたコンビニは、24時間営業しているのが当たり前の「社会インフラ」として多くの人に認識されるようになった。
(中略)
セブンが24時間営業の看板をおろすとなると、2万店以上のFC店に影響が及ぶことになる。2万店以上のFC店の客数が低下する可能性があるのだ。
筆者の佐藤氏は、「セブンは24時間営業やめろ」というネット世論の欠けた視点を指摘している。
一理はあるものの、その主張にも視点が欠けている部分がある。
「セブンを擁護しているわけではない」という佐藤氏だが、氏の論理は1行に要約すると……
大多数の利益のためには少数の犠牲はやむをえない。
……ということだと思う。
一部のオーナーが過労死しようが、潰れようが、大多数の利益となる社会インフラを維持することの方が重要。
セブンのブランドイメージを守ることの方が、少数のオーナーの要求よりも重要。
少数のFCの不満より、多数のFCの利益を守ることの方が重要。
そういうことだよね。
極論すれば、弱者切り捨て、あるいは使い捨てだね。
続けられないなら、辞めろってことだろう。
まぁ、弱肉強食はどの世界にもあるので、生存競争とすれば道理ではある。
コンビニを「社会インフラ」とするのは違和感がある。
うちの近所(23区内)には、徒歩5分圏内に、6軒のコンビニがあったりするが、数が多すぎ。同じセブンですら、3軒ある。
競合どころか、過剰だろう。
限られた顧客を、乱立したコンビニで取り合っているわけで、いわば共食い。5分圏内に1軒のコンビニしかなかったら、圏内の客はすべて1軒に集まる。それが6軒もあるのだから、1軒当たりは6分の1になる。単純な話である。
人口密集地に多くのコンビニがあり、田舎に行けば当然少なくなり、私の田舎の実家の周辺には、歩いていける距離にコンビニはない。
社会インフラとして機能するのは、都市部だけなのだ。
24時間、いつでも開いてるコンビニ……その便利さに甘えているというか、依存しているような気がする。
深夜でも営業しているのは、誰かが店番として働いているから。
そのためのバイトがいるわけだが、彼らは昼夜逆の生活をしているのだろうし、健康を犠牲にもしている。
昼夜逆の生活をしていると、健康によくないことは誰もが理解しているはず。
言い換えるなら、命を削っているともいえる。
深夜バイト君の命を削って、24時間営業の社会インフラは成り立っている。
それは深夜バイトを選んだ人の意思だとしても、誰かの健康を犠牲にしている。
それでいいのだろうか?
人生が崩壊する!? 昼夜逆転の生活が「体に悪い」理由10個│NEWSポストセブン
■昼夜逆転によって心と体に出る悪影響とは
さらにリズムが狂うことにより、ホルモン分泌や深部体温リズムなども大きく狂ってしまうのです。その影響は、まず肉体面よりも精神面にでることが多く、例えば、以下のような影響があるとのこと。
(1)感情コントロールの低下
(2)意欲の低下
(3)記憶力の低下
(4)思考能力の低下そして、体の影響もとっても恐ろしいもの! 先生いわく以下のような影響が考えられるのだとか。
(1)免疫力の低下
(2)生活習慣病リスクの増加
(3)循環器系機能の低下
(4)身体回復機能の低下
(5)慢性疲労症候群の発現
(6)骨粗しょう症リスクの増加最後の骨粗しょう症は意外ですよね。実は、太陽に当たらない生活をしているとビタミンDに欠乏が起こり、カルシウムを吸収しなくなるため、骨も弱ってしまうというのです。
佐藤氏の論理では、コンビニで深夜バイトをする人の健康を犠牲にしても、24時間営業は必要……ということなんだろう。
世の中、誰かの犠牲の上に成り立っているのだ……と。
たしかに、それも一理ある。
犠牲にされる少数ではなく、利益を享受する多数に入れとの教訓なのかもしれない。
それが弱肉強食の資本主義、多数決の民主主義なんだと。
搾取される側ではなく、搾取する側に立てと。
社会のヒエラルキーは、そうなっているのは事実ではある。
しかし、そのヒエラルキーを無情に肯定してもいいのだろうか?
少数の犠牲はしかたがないと割り切ってもいいのだろうか?
組織の利益のためには、個人の不利益は無視してもいいのだろうか?
便利さを求めすぎてはいないだろうか?
それでも24時間営業は必要……というのであれば、社会は深夜に働く人たちの犠牲を容認、もしくは黙認するしかない。
コンビニの24時間営業が当たり前になって、利用者の感覚が麻痺しているように思う。
「ちょっと小腹が空いた」と、深夜のコンビニに行き、肉まんを買う。
朝まで待てない、あるいは買い置きがない。コンビニがあるから、買い置きしておく必要がない。
そんな便利さが当たり前になっている。
田舎に行くと、商店の店じまいは早い。
コンビニが近くになければ、翌朝、開店するまでなにか欲しいものがあっても買えない。昔は、どこでもそうだった。
「明日、買いに行けばいい」という余裕があった。
「今、欲しい」と余裕がないのは、我慢できない人が多くなったともいえる。
世の中がせっかちで、辛抱できなくなっているんだろうね。
24時間営業のコンビニがあるから、深夜でも起きてる人が多くいる。
いや、これは鶏が先か卵が先かの問題でもあるのだが、寝ない人がいるからコンビニが24時間営業になったのかもしれない。
省エネやエネルギー問題の観点からいえば、24時間営業はエネルギーを浪費している。
コンビニが開いていなければ、出歩く人も少なくなるわけで、エネルギー消費も少なくなるように思う。それは二酸化炭素排出の削減にも寄与するはず。
ついでにいえば、テレビの24時間放送も無駄だ。
深夜でも働いている人はいるわけだが、基本は「夜は寝ろ」ってことだよ(^_^)。
健康で長生きしたいなら、夜更かしは禁物。
コンビニ24時間営業の是非は、企業利益や社会インフラの問題として見るのは、視点が欠けている。
別の視点として、コンビニで働く人たちの健康問題や、「夜、寝ない社会」の健康問題でもある。
24時間、コンビニが開いているというのは、本来は異常なんだよ。
その異常を異常と感じなくなっていることに、危機感を感じないといけない気がする。